闘 戦 経
「闘戦経」はわが国最古の兵書であり、著者は大江匡房(おおえのまさふさ)(1041~1111年)と言われている。
大江家は朝廷の秘書を管理する家柄であり、秘書には「孫子」など中国の古兵書が多かったから、匡房は「孫子」の家元であり、彼より「孫子」を伝授された源義家が前九年の役や後三年の役で大活躍をした話は有名である。
ところが、その彼が「孫子」を批判して書いたのが、この「闘戦経」なのである。当時は中国文化の無条件取り入れ時代であり、国情の違う中国で生育した「孫子」を無批判に取り入れて心酔し、策に流れて、誠実な努力を怠る者が多くなり、中国兵法失敗の前轍(ぜんてつ)をたどる恐れがあった。 匡房はこの時弊を憂慮し「孫子」の欠点を指摘して、そのままではわが国に適用できないことを警告するとともに、神武以来の日本における兵法経験を収集整理し、日本最初の兵書を書こうとした野心作がこの本であり、現代にいたるまでの世界各国の兵書が「重要なり」としていることの要点をズバリと主張していることは見事である。
「闘戦経」は、大江匡房がまず自ら十分に外来文化を研究したうえで、「これを取り入れる前に先ず日本文化を確立せよ」と主張して自ら範を示すとともに、自分の考えを確立しないで人の意見を無批判に取り入れることの危険を諄々(じゅんじゅん)と説いた達見であり、食わず嫌いで外来文化を拒否する狭量な国粋主義者ではない。闘戦経は優れた兵書であるとともに、人生哲学の書として、現代にも通ずる貴重な本である。
永らく幻の兵書として行方がわからなかったが、このたび再び陽の目を見ることになったのは大変嬉しいことで、しかもその仕事をさせていただいた私は、まことに著者冥利(みょうり)に尽きるものであり、この本をここまで守り伝えて来られた先人の方々に改めて感謝の意を表する次第である。
昭和五十七年十一月 大 橋 武 夫