闘戦経 前
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TOP Ohasi Takeoka SiteMap Link Information WebShop Comment      祈願・三陸皆様の心の復興 2011.3.11  
兵書抜粋
孫子 呉子 六韜 三略 司馬法 尉繚子 李衛公問対
君主論 戦争論 MOOSEMUSS ランチェスター 戦国策 鬼谷子 三十六計
闘戦経 統帥綱領 作戦要務令 海戦要務令 野外令 五輪書 兵法家伝書
闘 戦 経 とうせんきょう
闘戦経  前 闘戦経  後
闘戦経  前

「闘戦経」はわが国最古の兵書であり、著者は大江匡房(おおえのまさふさ)(1041~1111年)と言われている。 大江家は朝廷の秘書を管理する家柄であり、秘書には「孫子」など中国の古兵書が多かったから、匡房は「孫子」の家元であり、彼より「孫子」を伝授された源義家が前九年の役や後三年の役で大活躍をした話は有名である。 ところが、その彼が「孫子」を批判して書いたのが、この「闘戦経」なのである。当時は中国文化の無条件取り入れ時代であり、国情の違う中国で生育した「孫子」を無批判に取り入れて心酔し、策に流れて、誠実な努力を怠る者が多くなり、中国兵法失敗の前轍(ぜんてつ)をたどる恐れがあった。 匡房はこの時弊を憂慮し「孫子」の欠点を指摘して、そのままではわが国に適用できないことを警告するとともに、神武以来の日本における兵法経験を収集整理し、日本最初の兵書を書こうとした野心作がこの本であり、現代にいたるまでの世界各国の兵書が「重要なり」としていることの要点をズバリと主張していることは見事である。 「闘戦経」は、大江匡房がまず自ら十分に外来文化を研究したうえで、「これを取り入れる前に先ず日本文化を確立せよ」と主張して自ら範を示すとともに、自分の考えを確立しないで人の意見を無批判に取り入れることの危険を諄々(じゅんじゅん)と説いた達見であり、食わず嫌いで外来文化を拒否する狭量な国粋主義者ではない。闘戦経は優れた兵書であるとともに、人生哲学の書として、現代にも通ずる貴重な本である。 永らく幻の兵書として行方がわからなかったが、このたび再び陽の目を見ることになったのは大変嬉しいことで、しかもその仕事をさせていただいた私は、まことに著者冥利(みょうり)に尽きるものであり、この本をここまで守り伝えて来られた先人の方々に改めて感謝の意を表する次第である。 昭和五十七年十一月  大 橋 武 夫

-- 日本最古=幻の兵書「闘戦経」 大江匡房・著伝 大橋武夫・解説 まえがき より --

闘戦経  前
●   我が武道は天地の初めよりある。
 二、 第一は日本の武道、第二は中国の兵法。
 三、 骨を強化す。
 四、 金は金たるを知り、土は土たるを知れ。
 五、 天は剛毅にして傾かず。
● 六、 胎児はまず骨から成る。
 七、 造化の神は冷厳である。武もまた断乎たれ。
 八、 孫子は詫譎「きけつ」(いつわり、あざむく)の書である。
● 九、 兵法の本来は戦いにある。
 十、 中庸がよく、偏してはならない。
● 十一、目は三つはいらない。
● 十二死生を論ずる間は死生を悟れず。
● 十三、孫子は懼字「くじ」(敵を恐れる)なり。
● 十四、 四体破れざるに、先ず心を失うは天地の理にあらず。
● 十五、 魚に鰭「ひれ」あり、蟹に足あり。
● 十六物の根たるもの五(陰陽、五行、天地、人倫、死生)あり。
● 十七、 軍は進止あるのみ。
● 十八、 兵は稜(刀尖、鋭、鋭気)を用う。
● 十九、 未だ謀士の骨を残すを見ず。
● 二十、 軍に足痕(足あと)なきは善なり。
● 二十一、 我、蝮蛇(まむし)の毒を生かさん。
● 二十二、 疑えば、天地みな疑わし。
● 二十三、 「呉子」(呉起の兵書)は可なり。
● 二十四、 武将の敗因は不決断。
● 二十五、 智者は威をおそれ、罰をおそれず。
● 二十六、 蛇に足はないが、百足(ムカデ)に勝つ。

 

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