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目録戦理戦いの要素統率状況判断戦略戦術大橋先生武岡先生・祈願・三陸皆様の心の復興 2011.3.11「 乃至法界平等利益自他倶安同歸寂光 」

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兵法・三十六計

兵書抜粋

李 衛 公 問 対りえいこうもんたい

李衛公問対・解説

「李衛公問対(600年代成立説)」は唐の太宗「李世民(598~649)」と重臣、李衛公「李靖(571~649)」の問答集である。中国史上有数の盛世の手本とされる貞観の治「貞観政要」の名君とその知遇に応えて唐帝国の礎を担った名将との政治、兵法に関する対話は武経七書(孫子・呉子・六韜・三略・司馬法・尉繚子・李衛公問対)の最後に放つ極みの一閃である。武経七書中最も新しく黄帝の太古から曹操、孔明の時代までの戦史、兵書、名将、軍師等の事績と要諦、極意が語られている。「唐書芸文志」等にその名が記載されてないことから唐末~宋初に作られた偽書説が存在する、また皇帝(李世民)の私書として秘蔵されたため世に流布されなかったとも云われる。太宗の「もらすなかれ朕徐にその処置を思わん」等の他言、外漏を禁ずる文言が至る所に存在する。国家戦略、国防理念を論じているのであるから当然の事である。その国の地勢、時勢、民性、国力等に沿って建てられる「国防方針(ドクトリン)」はその国の特質に適い目前の課題即効を目論むものであるがその特質には優点劣点が潜み伏せられている。一方、古今の兵書の趣旨要点を語ってその真理を探ろうとする明君(自らも歴戦の巧者)と知性極まる名将が供に解き明かす「戦理(プリンシップ)」は国を越え時代を変えてその普遍性を示している。たとえこの書「李衛公問対」が太宗、李衛公の名を借りた偽書であったとしても、名を伏せ道を千載に明かしたことには変わりはない。大橋先生、武岡先生の著書には引用参考の記載は見られないが随所に共通するその指標が既に示されている。

上の巻

  1. 靖曰く、「陛下は天縦聖武、学ぶに非ずして能くす。臣、按ずるに、兵法は黄帝より以来、正を先にして奇を後にし、仁義を先にして権譎を後にす。」
  2. 太宗曰く、「霍去病、暗に孫呉と合す。誠にこれあるかな。右軍の却くに当たって高祖色を失えり。朕が奮撃するに及んで、反って我が利となれり。孫呉と暗に合す。卿、実に言を知れり」
  3. 靖曰く、「若し正兵変じて奇となり、奇兵変じて正となるに非ずんば、則ち安くんぞ能く勝たんや。故に善く兵を用うる者は、奇正は人に在るのみ。変じてこれを神にす。天に推す所以なり。」
  4. 太宗曰く、「曹公(曹操)云う、奇兵は傍らより撃つ、と。卿は如何に謂うか」。靖曰く、「臣、按ずるに、曹公、孫子に註して曰く、先ず出でて合し戦うを正となし、後に出づるを奇となす、と。これ傍らより撃つの説と異なれり。臣愚にして謂えらく、大衆の合する所を正となし、将の自ら出だす所を奇となす。いずくんぞ先後傍より撃つの拘わりあらんや」。
  5. 太宗曰く、「吾の正、敵をして視て以て奇となさしめ、吾の奇、敵をして視て以て正となさしむ。これ所謂人を形せしむる者か。奇を以て正となし、正を以て奇となし、変化測ることなし。これ所謂形なき者か」。靖再拝して曰く、「陛下は神聖にして、廻かに古人に出づ。臣の及ぶ所に非ず」
  6. 太宗曰く、「黄帝の兵法、世に握奇の文を伝う。或は謂いて握機の文となす。何の謂ぞや」。靖曰く、・・・臣愚にして謂えらく、兵はこれ機ならざるはなし。安んぞ握にありて言わんや。当に余奇に為るは則ちこれなり。それ正兵はこれを君に受く。奇兵は将自らい出す所なり。法に曰く、令、素より行われ、以てその民に教うれば、則ち民服す、と。これ、これを君に受くる者なり。また曰く、兵、予め言わず。君命も受けざる所あり、と。これ将の自らい出す所の者なり。
  7. 太宗曰く、「漢の張良、韓信、兵法を序次することおよそ百八十二家、要用をけずり取って、定めて三十五家を著わす。今その伝を失うは何ぞや」。靖曰く、「張良の学びし所は、太公の六韜、三略これなり。韓信の学びし所は、穣苴、孫武これなり。然れども大体は三門四種に出ざるのみ」。
  8. 太宗曰く、「番兵は勁馬奔衝す。これ奇兵か。漢兵はただ強弩掎角す。これ正兵か」。靖曰く、「按ずるに、孫子は云う、善く兵を用うる者は、これを勢に求めて、人に責めず。故に能く人を択てて勢に任ず、と。それ所謂人を択つとは、各おの番漢の長ずる所に随いて戦わしむるなり。番は馬に長ず。馬は速闘に利あり。漢は弩に長ず。弩は緩戦に利あり。これ自然に各おのその勢に任ずるなり。然れども奇正の分かるる所に非ず。

中の巻

  1. 太宗曰く、「朕諸の兵書を観るに、孫武に出づるものなし、孫武十三篇は虚実に出づるものなし。それ兵を用うるに虚実の勢を識れば、則ち勝たざるなし。今、諸将の中、ただ能く実に備えて虚を撃つと言うも、その敵に臨むに及んでは、則ち虚実を識る者鮮し。蓋し人を致すこと能わずして、反って敵の致す所となるが故なり。如何。卿、悉く諸将のためにその要を言え」。
  2. 靖曰く、「先ずこれを教うるに奇正相変の術を以てし、然る後にこれを語るに虚実の形を以てするは可なり。諸将、多く奇を以て正となし、正を以て奇となすことを知らず。且つ安くんぞ虚はこれ実、実はこれ虚なるを識らんや」。
  3. 太宗曰く、「これを策して得失の計を知り、これを策して動静の理を知り、これを形して死生の地を知り、これを角して有余不足の処を知る。これ則ち奇正我に在り、虚実敵に在るか」。
  4. 靖曰く、「奇正とは敵の虚実を致す所以なり。敵実なれば則ち我必ず正を以てし、敵虚なれば則ち我必ず奇を以てす。苟も将奇正を知らざれば、則ち敵の虚実を知ると雖も、安んぞ能くこれを致さんや、臣、詔を奉じ、ただ諸将に教うるに奇正を以てせん。然る後に虚実自ら知らん」。
  5. 太宗曰く、「奇を以て正となすとは、敵その奇を意わば則ち吾正もてこれを撃ち、正を以て奇となすとは、敵その正を意わば則ち吾奇もてこれを撃つ。敵の勢をして常に虚、我が勢をして常に実ならしむ。まさにこの法を以て諸将に授け、嘵り易からしむべきのみ」。
  6. 靖曰く、「千章万句は、人を致して人に致されずに出でざるのみ。臣、まさにこれを以て諸将に教うべし」
  7. 太宗曰く、「今、人孫子を習うは、ただ空文を誦して、克くその義を推し広むること鮮し。力を治むるの法、宜しく徧く諸将に告ぐべし」
  8. 靖曰く、「敵に臨んで表を立つるは非なり。これただ戦いを教うる時の法のみ。古人の善く兵を用うる者は、正を教えて奇を教えず。衆を駆ること群羊を駆るが若し。これと進み、これと退き、之く所を知らざるなり。曹公(曹操)驕りて勝を好む。当時の諸将、新書を奉ずる者は、敢てその短を攻むることなし。
  9. 太宗曰く、「昔、漢の高帝天下を定め、歌いて伝く、安にか猛士を得て四方を守らしめん、と。蓋し兵法は意を以て授くべく、語を以て伝うべからず。朕、破陣楽の舞いを為るも、ただ卿のみ以てその表を暁る。後世それ我が苟も作らざるを知らん」
  10. 太宗曰く、「車、歩、騎の三者は一法なり。その用は人に在るか」。靖曰く、「・・・これを用うるは人に在り。敵、安んぞ吾が車、果して何に出で、騎、果して何より来たり、徒、果して何に従うかを知らんや。或は九地に潜み、或は九天に動く。その知、神の如くなるは、ただ陛下これあり。臣何ぞ以てこれを知るに足らんや」
  11. 太宗曰く、「四獣の陣、また商羽微角を以てこれに像るは、何の道ぞ」。靖曰く、「詭道なり」。「・・・これ皆兵家古よりの詭道なり。これを存すれば則ち余詭また増さず。これを廃すれば則ち貧を使い愚を使うの術、何よりして施さんや」。太宗やや久しくして曰く、「卿、宜しくこれを秘すべし。外に泄らすことなかれ」
  12. 太宗曰く、「厳刑峻法は、人をして我を畏れて敵を畏れざらしむと。朕甚だこれを惑う。昔、光武は孤軍を以て王莽の百万の衆に当る。刑法あってこれに臨むに非んば、これ何に由れるか」。
  13. 靖曰く、「兵家の勝敗は情状万殊なり。一事を以て推すべからざるなり。陳勝・呉広の秦の師を敗るが如きは、豈に勝・広の刑法、能く秦に加えんや。光武の起こるは、蓋し人心の莽を怨むに順えるなり。況やまた王尋・王邑は兵法を暁らず、徒に兵の多きを誇れり。自ら敗れし所以なり。臣按ずるに、孫子曰く、卒いまだ親附せざるにこれを罰すれば、則ち服せず。すでに親附して罰行なわざれば、則ち用うべからず、と。これおよそ将は先ず愛もて士に結ぶありて、然る後に厳刑を以うべきを言う。若し愛いまだ加えずして独り峻法を用いば、克く済すこと鮮し」。
  14. 太宗曰く、「尚書に云う、威、その愛に克てば允に済い、愛、その威に克てば允に功なし、と。何の謂ぞや」。
  15. 靖曰く、「愛は先に設け、威は後に設く。これに反すべからざるなり。若し威、前に加え、愛、後に救わば、事に益なし。尚書はその終わりを慎戒する所以にして、謀を始めに作す所以に非ざるなり。故に孫子の法は、万代刋(けず)らず。
  16. 太宗曰く、「兵は主たるを貴び、客たるを貴ばず。速きを貴び、久しきを貴ばず。何ぞや」。
  17. 靖曰く、「兵は已むを得ずしてこれを用う。安んぞ客たり且つ久しきに在らんや。孫子曰く、遠く輸れば、則ち百姓貧し、と。これ客たるの弊なり。また曰く、役は再籍せず、糧は三載せず、と。これ久しくすべからざるの験なり。臣、、主客の勢を較量するに、則ち客を変じて主となし、主を変じて客となすの術あり」。

下の巻

  1. 太宗曰く、「攻守の二事は、その実一法なるか。孫子言う、善く攻むる者は、敵その守る所を知らず、善く守る者は、敵その攻むる所を知らず、と。則ち、敵来たりて我を攻むれば、我もまたこれを攻め、我若し自ら守れば、敵もまた守ることを言わず。攻守両つながら斉しきは、その術奈何」。
  2. 靖曰く、「前代、この相攻め相守るに似たる者多し。皆曰く、守るは則ち足らず、攻むるは則ち余りあり、と。すなわち足らざるを謂いて弱しとなし、余りあるを強しとなす。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣按ずるに、孫子云う、勝つべからざるは守るなり。勝つべきは攻むるなり、と。謂うに敵いまだ勝つべからざれば、則ち我且く自ら守り、敵の勝つべきを待ちて、則ちこれを攻むるのみ。強弱を以て辞を為すに非ざるなり。後人その義を暁らず、即ちまさに攻むべくして守り、まさに守るべくして攻む。二役すでに殊なる。故にその法を一にするを能わず」
  3. 太宗曰く、「信なるかな。有余不足は、後人をしてその強弱に惑わしむ。殊えて知らず、守るの法、要は敵に示すに足らざるを以てするに在り。攻むるの法、要は敵に示すに余りあるを以てするに在るなり。敵に示すに足らざるを以てすれば、則ち敵必ず来たりて攻む。これはこれ敵、その攻むる所を知らざる者なり。敵に示すに余りあるを以てすれば、則ち敵必ず自ら守る。これはこれ敵、その守る所を知らざる者なり。攻守は一法なり。敵と我と分かれて二事となる。若し我が事得れば、則ち敵の事敗れ、敵の事得れば、則ち我が事敗る。得失成敗、彼我の事分かれん。攻守は一のみ。一を得る者は百戦百勝す。故に曰く、彼を知り己を知れば、百戦して殆からず、と。それ一を知るの謂か」。
  4. 靖、再拝して曰く、「深いかな、聖人の法や。攻むるはこれ守るの機、守るはこれ攻むるの策、同じく勝に帰するのみ。若し攻めて守るを知らず、守りて攻むるを知らざれば、ただその事を二つにするのみならず、そもそもまたその官を二つにせん。口に孫呉を誦すと雖も、心に妙を思わずんば、攻守両つながら斉しきの説、それたれか能くその然るを知らんや」
  5. 太宗曰く、「司馬法に言う、国大なりと雖も、戦いを好めば必ず亡ぶ。天下安しと雖も、戦いを忘るれば必ず危うし、と。これもまた攻守一道か」。
  6. 靖曰く、「国を有ち家を有つ者は、曷ぞかつて攻守を講ぜざらんや。それを攻むる者は、その城を攻めてその陣を撃つのみに止まらず。必ずその心を攻むるの術あり。守る者は、その壁を完くしその陣を堅くするのみに止まらず。必ずや吾が気を守り、以て待つことあり。大にしてこれを言わば、君たるの道、小にしてこれを言わば、将たるの法なり。それその心を攻むるとは、所謂、彼を知る者なり。吾が気を守るとは、所謂、己を知る者なり」
  7. 靖曰く、「孫武の所謂、先ず勝つべからざるを為すとは、己を知る者なり。以て敵の勝つべきを待つとは、彼を知る者なり。また曰く、勝つべからざるは己に在り。勝つべきは敵に在り、と。臣、斯須(しばらく)も敢えてこの戒めを失わず」
  8. 太宗曰く、「孫子は三軍の気を奪うべきの法を言う。朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。善く兵を用うる者は、その鋭気を避けて、その惰気を撃つ、と。如何」。
  9. 靖曰く、「・・・所謂、朝の気は鋭とは、時刻を限りて言うに非ざるなり。一日の始末を挙げて喩えとなすなり。およそ三たび鼓すれども敵衰えず竭きずんば、則ち安んぞ能く必ずこれをして惰帰せしめんや。蓋し学ぶ者徒に空文を誦して敵の誘う所となる。苟もこれを奪うの理を悟らば、則ち兵任ずべし」
  10. 太宗曰く、「漢の高祖は能く将に将たり。その後、韓彭は誅せられ、蕭何は獄に下る。何の故にかくの如きか」
  11. 靖曰く、「臣、劉項を観るに、皆将に将たるの君に非ず。・・・漢、天下を得るは、張良の借箸の謀と蕭何の漕輓(兵站)の功とに由るなり。これを以てこれを言わば、韓彭誅せられ、范増用いられざるは、その事同じなり。臣故に劉項は皆将に将たるの君に非ずと謂う」
  12. 太宗曰く、「陰陽術数は、これを廃して可ならんか」。
  13. 靖曰く、「不可なり。兵は詭道なり。これを託するに陰陽術数を以てせば、則ち貧を使い愚を使う。これ廃すべからざるなり」。
  14. 太宗曰く、「兵法は孰か最も深き者となす」。
  15. 靖曰く、「臣かつて三等に分かち、学ぶ者をしてまさに漸にして至るべからしむ。一に曰く、道。二に曰く、天地。三に曰く、将法。それ道の説は、至精至微なり。易に所謂、聡明叡智、神武にして殺さざるはこれなり。それ天の説は陰陽なり。地の説は険易なり。善く兵を用うる者は、能く陰を以て陽を奪い、険を以て易を攻む。孟子の所謂、天の時地の利とはこれなり。それ将法の説は、人に任じ器を利するに在り。三略に所謂、士を得る者は昌え、管仲の所謂、器は必ず堅利とはこれなり」
  16. 太宗曰く、「然り。吾謂えらく、戦わずして人の兵を屈するは上なり。百戦百勝するは中なり。溝を深くし塁を高くして、以て自ら守るは下なり。ここを以て校量するに、孫武が著書は三等皆具われり」
  17. 靖曰く、「その文を観、その事を跡ぬれば、また差別すべし。張良・范蠡・孫武の、脱然として高く引き、往く所を知らざるが若きは、これ道を知るに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。楽毅・管仲・諸葛亮の、戦えば必ず勝ち、守れば必ず固きが若きは、これ天の時、地の利を察するに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。その次は王猛の秦を保ち、謝安の晋を守るは、将に任じ才を択び、繕完して自ら固くするに非ずんば、安んぞ能く爾らんや。故に兵の学を習うには、必ず先ず下より以て中に及び、中より以て上に及べば、則ち漸にして深し。然らずんば、則ち空言を垂れて、徒らに記誦するのみ。取るに足るなきなり」
  18. 太宗曰く、「道家は三世将たる者を忌む。妄りに伝うべからざるなり。また伝えざるべからざるなり。卿、それこれを慎め」
  19. 靖再拝して出で,尽くその書を伝えて李勣に与う。

大友杏葉

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