李衛公問対・解説
「李衛公問対(600年代成立説)」は唐の太宗「李世民(598~649)」と重臣、李衛公「李靖(571~649)」の問答集である。中国史上有数の盛世の手本とされる貞観の治「貞観政要」の名君とその知遇に応えて唐帝国の礎を担った名将との政治、兵法に関する対話は武経七書(孫子・呉子・六韜・三略・司馬法・尉繚子・李衛公問対)の最後に放つ極みの一閃である。武経七書中最も新しく黄帝の太古から曹操、孔明の時代までの戦史、兵書、名将、軍師等の事績と要諦、極意が語られている。「唐書芸文志」等にその名が記載されてないことから唐末~宋初に作られた偽書説が存在する、また皇帝(李世民)の私書として秘蔵されたため世に流布されなかったとも云われる。太宗の「もらすなかれ朕徐にその処置を思わん」等の他言、外漏を禁ずる文言が至る所に存在する。国家戦略、国防理念を論じているのであるから当然の事である。その国の地勢、時勢、民性、国力等に沿って建てられる「国防方針(ドクトリン)」はその国の特質に適い目前の課題即効を目論むものであるがその特質には優点劣点が潜み伏せられている。一方、古今の兵書の趣旨要点を語ってその真理を探ろうとする明君(自らも歴戦の巧者)と知性極まる名将が供に解き明かす「戦理(プリンシップ)」は国を越え時代を変えてその普遍性を示している。たとえこの書「李衛公問対」が太宗、李衛公の名を借りた偽書であったとしても、名を伏せ道を千載に明かしたことには変わりはない。大橋先生、武岡先生の著書には引用参考の記載は見られないが随所に共通するその指標が既に示されている。