「統帥綱領」・「統帥参考」 解説
統帥綱領(1928年)・統帥参考(1932年)わが国の兵学は初めに孫子の影響を受け、明治時代に至ってクラウゼウィッツの戦争論により体系づけられ、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の教訓によって肉づけされたもので、昭和初期に至って、多くの軍事書に結晶した。 統帥綱領と作戦要務令はそのうちの傑作で、神武以来の伝統が数多の栄養を吸収し、参謀本部や陸軍大学校の英才たちの手によって、長年の苦心の結果、世界的に優良な兵書として見事に開花したものである。統帥綱領は日本陸軍の将官および参謀のために国軍統帥の大綱を説いたもので、わが作戦実行のための指導書である。したがってこれを読めば、日本軍の作戦計画や戦法が察知されるので、軍事機密として、特定の将校にだけ、厳重な規制のもとで、臨機閲覧を許された、文字どおり門外不出の書であった。このため陸軍大学校では、統帥綱領の講義のため、機密度の低い兵学の書である統帥参考(1932年刊)を使っていた。
「統帥綱領」と「統帥参考」の統帥権について
「統帥綱領」は1928年(昭和3)に日本陸軍の高級指揮官(方面軍司令官・軍司令官)に対して作戦遂行及び国軍統帥の大綱を示すために制定されたものである。敗戦時に軍の最高機密として一切焼却されたと云われる。1962年(昭和37)に偕行社の有志の手で「統帥綱領・統帥参考」として復元刊行されたがやがて絶版となった。その後、偕行社の理事長をされていた大橋武夫先生の手により1972年(昭和47)「統帥綱領」(建帛社)として再刊され、今日まで貴重なロングセラーとなっています。しかし再刊されるにあたり「統帥参考」の統帥権・統帥と政治・その他一部は割愛されています。この原稿(御遺品)「第三篇 本篇に掲げるところは、情勢の大きな変化により、現代に適用することはできないが、参考のため記載する。」に始まるこの数十枚の原稿は遂に世に出ることはなかったものであるが大変重要な原稿(御遺品)です。本来、第一篇や第一章に掲げられたものは割愛(削除)されるようなテーマではなかったはずである。当時の様々な経緯が偲ばれます。
■ 大橋先生の三十三回忌にあたり、ご遺族より貴重な御遺品を賜りました。下記サイトにてご紹介させていただきます。
「大橋武夫先生三十三回忌」
https://www.heihou.com/pray-33/
■ Mobile用の「兵書抜粋」統帥綱領のサイトです。
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「兵書抜粋」統帥綱領
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