五輪書 解説
「五輪書」は自らの死期を悟った晩年の新免武蔵(伝1584~1645)がその兵法の集大成として寛永20年(1643)の十月十日に肥後の岩戸山に篭もって筆を執り始めたと伝わる。武蔵の病の篤さを気遣った藩主の命で城下に戻ったのちに門弟の寺尾求馬助らに看取られて正保2年(1645)五月十九日、武蔵は波乱の生涯を終えた。行年62歳。「五輪書」と「独行道」は寺尾孫之丞(兄)に授与され「兵法三十九箇条」は寺尾求馬助(弟)に授与されて「兵法二天一流」の法統は寺尾兄弟の門下によって受け継がれて行ったと伝わる。
地の巻
兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、はじめて書物に顕はさんと思い、時に寛永二十年十月上旬のころ、九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかい、生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもって六十。
兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事において、我に師匠なし。今この書を作るといえども、仏法・需道の古語にもよらず、軍記・軍法の古きことを用いず、此一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初むるもの也。
一、此の兵法の書、五巻に仕立つる事、五つの道をわかち、一巻き一巻きにして其の利を知らしめんが為に、地水火風空として五巻に書顕すなり。
地の巻においては、兵法の道の大躰、我が一流の見立、剣術一通りにしては、まことの道を得がたし。大きなる所より小さき所を知り、浅きより深きに至る。直なるの道の地形を引きならすによって、初を地の巻と名付くる也。
- それ兵法といふ事、武家の法なり。将たるものは、とりわき此の法をおこなひ、卒たるものも、此の道を知るべき事也。今世の中に、兵法の道たしかにわきまへたるといふ武士なし。
- 兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。その儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、これ兵法の実の道也。
- 一、兵法の道といふ事、・・古しへより、十能・七芸と有るうちに、利方といひて、芸にわたるといへども、利方と云出すより、剣術一通にかぎるべからず。剣術一ぺんの利までにては、剣術もしりがたし。勿論、兵の法には叶ふべからず。
- 一、此の一流、二刀と名付くる事、・・一流の道、初心のものにおいて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。一命を捨つる時は、道具を残さず役にたてたきもの也。道具を役にたてず、こしに納めて死する事、本意に有るべからず。然れども、両手に物を持つ事、左右共に自由には叶ひがたし。太刀を片手にとりならはせんため也。
- 一、兵法の拍子の事、物毎に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくしては及びがたき所也。・・兵法の戦に、その敵、その敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもって、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也。
- 右一流の兵法の道、朝な朝な夕な夕な勤めおこなふによって、おのづから広き心になって、多分一分の兵法として、世に伝ふる所、初めて書顕はす事、地水火風空、この五巻也。我れ兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり。
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛錬する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、物毎の損徳をわきまゆる事
第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所をさとってしる事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役にたたぬ事をせざる事
大形如此理を心にかけて、兵法の道鍛錬すべき也。
兵法三十五箇条
一、此道二刀と名付事、
一、兵法の道見立処の事、
一、太刀取様の事、
一、身のかかりの事、
一、足ぶみの事、
一、目付の事、
一、間積りの事、
一、心持の事、
一、兵法上中下の位を知る事、
一、いとかねと云事、
一、太刀の道の事、
一、打と当ると云事、
一、三ツの先と云事、
一、渡を越すと云事、
一、太刀に替る身の事、
一、二ツの足と云事、
一、剣を踏むと云事、
一、陰を押ゆると云事、
一、影を動かすと云事、
一、弦をはづすと云事、
一、小櫛のおしへの事、
一、拍子の間を知ると云事、
一、枕の押へと云事、
一、景気を知ると云事、
一、敵に成ると云事、
一、残心・放心の事、
一、縁の当りと云事、
一、しつかうのつきと云事、
一、しうこうの身と云事、
一、たけくらべと云事、
一、扉のおしへと云事、
一、将卒のおしへの事、
一、うかうむかうと云事、
一、いはをの身と云事、
一、期をしる事、
一、万理一空の事、