一冊三百二十円の本が人生を変えた?
当時十八歳。 高校一年生で、登校拒否、その後留年。落第生という境遇だった。 初めて突きつけられた屈辱と現実。二十段登ったつもりでも転げ落ちる時は四十段もあった。どうしても避けられない厳しく暗い現実だった。その頃、倫理社会を教えておられた、三島彦介という先生が、学年の最初の授業で必ず武蔵の話をされていた。淡々と話されるその教室で五輪書のことを知った。早速、図書室で探して読んだ。その後の授業で今度は孫子という本があることを話されたが、図書室にはなかった。その年の夏休み(昭和五十年)書店の平台で天野孫子を見つけた。武蔵が憧れた大の兵法とは、これだと思った。落第生の心を少し得意にさせた。天野孫子の「あとがき」にあるように、自分も常に学生服のポケットに孫子を入れた。前後して読んだ「易」の中の四大凶、坎為水と孫子の水の形は情容赦ない自然の理と徹底した現実主義を教えていると感じた。また、凶の中にも吉が潜んでいて、己の弱点さえも武器として戦うことができると信じ込んだ。 社会人となって大橋先生の図解兵法を読んだ。そして、大橋先生の兵法経営塾に参加して、武岡先生から名刺を頂いた時、あっあの本を書いた人だと思った。実は図解指揮学はまだ読んでいなかった。兵法を個人の処世の知恵としては学んだつもりだったが、戦略戦術には指揮統率が不可欠ということさえ意識していなかった。それ以来、武岡先生には著書のみならず公私に渡り大変な恩恵を頂いている。武岡先生からは戦理戦略を、大橋先生からは統御統率を学んだと思う。 三島先生の授業から既に二十年になり、書店でも孫子は広く膾炙されてしまったが、韓信が「此れ兵法に在り、ただ諸君察せざるのみ」と言ったように、孫子にはただの読書の対象ではないことを宿命付けられている。
-- 国際孫子クラブ・機関紙「孫子兵法」第8号(1996年4月)投稿ページより --