孫子の本文は、錯乱が多く、また衍文・衍字が附加されていて、前後の文意が一貫しないところが多い。しかし二千数百年の風雪を凌いだ人類の遺産、GREAT・BOOKと言われ全世界に流布されている。はたして人類は「孫武」の本来の思想・本懐を手にしたといえるのであろうか。
兵法「孫子」について --- 大橋先生 ---
多くの人が「兵法とは策なり」と誤解することは「孫子」の欠点であろう。そのため、わが国における「孫子」の家元である大江家の匡房もこれを心配し、「孫子」は詭譎(きけつ)の書であり、そのままでは、日本では使えないと警告している。・・・ 「孫子」は元来わかりやすい本である。それがそう受け取れないのは、後世の加文と補修に際しての乱丁があるからで、慧眼にもこれを見抜いた天野鎮雄氏の明快な卓見には敬服する(天野鎮雄氏著「孫子」参照)。---「原始・孫子」--- 本来の孫子はもっと素朴なものだったのではあるまいか。現代に伝わっているものは分り難い。「容易にうかがい知れないところが奥義の面目であり、孫子の思索の深さを示す貴重なところだ」という説もあるが、孫子は兵書である。学究の書ではなく、実用の書なのである。とくに戦場という厳しい場面で、極限状態に陥って思考力の衰えた人間が使うものは、単純明快で素朴でなくてはならないと思う。前掲の「孫子」はどうも本来のものではなさそうである。文章の筋が通っていないし、各篇のものが混在している疑いがある。不用な語句も多い。二千五百年もの間、風雪を冒して伝承されている間に、後世学者の文字遊び(中国人はこれを好み、巧である)の筆が入り、また誤って編集し直されてこうなったのではあるまいか。たとえば火攻篇の「故にいわく、明主はこれを慮り ・・・ 全うするの道なり」はどう考えても「兵は国の大事にして・・・」の説述であり、ここにあるのはおかしい。人によっては「ここから再び始計篇にかえり、循環してつきないところが、孫子の孫子たる面目だ」などとほめているが、これは贔屓の引き倒しであり、あまりにも文章をもてあそぶものだと思う。孫子のはじめは竹簡、木簡(竹や木の短冊)に書かれ、紐で編んであったので、紐が切れたままで長年月を経過すれば、このように乱丁することはありうる。また、戦闘の具体的手段はもっと多く書かれていたと思うが、これは時勢の変化や武器の進歩などによって通用しなくなる性質のものであるから、消え去っても一向差し支えない。常々私はこんな不遜なことを考えていたが、先年たまたま手に入れた天野鎮雄氏の「孫子」(講談社刊)に、これと同じ意見があるのを発見して、大いに意を強くした。氏の方には学問的な根拠がある。なお、天野氏は学者的良心から「孫子の思想」と遠慮されているが、無知であるがため強さをもつ私は、天野説に勢いを得て「原始・孫子」と題してみた。そしてさらに悪乗りし、先生の文章を台にして、私流のものを書いたのが、次に掲げるもので、我々の孫子はこれで必要にして十分であり、孫子本来の珠玉の光はそのまま輝いていると思うが、古典冒瀆の反省もあるので、篤学の士はどうか「天野孫子」をお読み願いたく、できればさらに「新釈漢文大系 ・孫子 呉子 」(天野鎮雄著、明治書院刊)にお進みください。これは完璧である。
--- 大橋先生「兵法 孫子」 (2005年/PHP文庫)(マネジメント社 1980年(S55)10月)「兵書研究」(日本工業新聞社 1978年(S53)12月)より ---
兵法「孫子」について --- 武岡先生 ---
二五〇〇年前の兵書がなぜこのように現代に通ずるか。他の古典はそうでないとはいわないが、『孫子』の場合は顕著である。理由はいくつかある。 その第一は、兵書でありながら戦争を人類の敵とみていて、好戦的でないことだ。これは『孫子』を熟読した結果わかったことである。著者の孫武は、人間は安定した社会体制の下で協同で仕事をして豊かな人生を送り、天寿を全うするのが最も望ましいと考えていたようだ。黄河文明の研究成果と思うが、安定した豊かな人生を送るのが幸福とみていることはまことに現代的である。 しかしこの考え方は、身分制度の厳しい乱世の春秋時代の社会通念下では異端である。だから当時の社会の歴史学的研究からは、『孫子』はかえって理解しにくいのではないかとさえ思う。『孫子』の理解には、むしろ『孫子』そのものを熟読玩味するしかないのではないか。それだけ『孫子』の著者の意識は進んでいたのである。天野鎮雄博士は、「孫子は宇宙の目から戦争を捉えている」と述べているが、換言すれば、「現代的センス」で戦争を捉えているということではなかろうか。第二は自然界の原理や人間の性をよく研究し、その仕組みやルールに余計な彩りを加えずに用兵原則を作っていることだ。自然界の原理や人間の性は、二五〇〇年前も今も変わらない。むしろ物質文明が進んでいないだけに、自然界の仕組やルールは捉えやすい。とはいえ慎重な『孫子』は、それを『易』の二元論を研究し、黄河文明を作った原理から捉えているのである。 ・・ 中略・・このように『孫子』はすぐれた書である。だが現代の書物に比し、"簡古隠微"(かんこいんび、簡単で古色を帯び、実体がかすかでわかりにくい)といわれるほど解読がむずかしい。簡潔すぎる文章の壁、兵書解読に必要な軍事知識の壁、それも目に見える戦術的用兵ではなく、その奥にあって戦術的用兵を動かしている戦略原理の壁である。さらにその戦略原則を処世、経営、ビジネス面に活かすには、軍事と経済常識をもってする橋渡しが必要だ。これらの障害除去は、大地震直後の瓦礫に埋もれた人命救出にも似ているが、その瓦礫を少しでも取り除いて、読者諸賢の理解を容易にするように努めたのが本文庫版である。
--- 武岡先生 『 新釈 孫子』PHP文庫 2000年(H12)6月 おわりに・本書を活用し「孫子」を学ぶ人へより ---