Military Art from T.Ohashi T.Takeoka
兵 法 塾 | ||||||
目 録 | 戦 理 | 戦いの要素 | ||||
統 率 | 状況判断 | 戦略 戦術 | ||||
兵書抜粋 | 戦史 概略 | 名将言行録 | ||||
孫子の思想 | 大橋先生言行録 | 武岡先生言行録 | ||||
図解 状況判断 | サイトマップ | 兵法経営塾 | ||||
将帥と参謀 | 大橋先生著書 | 武岡先生著書 | ||||
主宰者プロフィール | 主宰者コメント | Information | ||||
アフィリエイト | 電子書籍 | WebShop | ||||
Site情報 | 徳川家康 | About | ||||
昭和57年(1982)の4月頃だったと思う、その頃大橋先生の「図解兵法」「続名将の演出」「兵法孫子」などを既に読んでいたが新刊の「立身出世のすすめ」の中に大橋先生の主宰される「兵法経営塾」のことが書かれていた。
それから20年、当時五歳だった長男と一緒に赤門の前で記念写真を撮ろうとしたら「この前まで馬鹿にしていたくせに・・」と窘められてしまった。小学校低学年の頃、学校で友達とケンカをして先生から咎められたらしく家に帰ってからも「ぼくはしゅしゅこうじゅだもん」 「ぼくはしゅしゅこうじゅだもん」と何やら子供ながらに悔やみながら主張していた。当時は親にも何のことか理解出来なかった。おそらく先生にも理解してもらえなかったことに幼心を高ぶらせていたのだろう。既に二年生の頃には幼稚園や学校の先生以外にも「先生」がおられた。高校入試前に少拳士二段で一旦、小の兵法を止めたがその後も大の兵法で自ら転がり出したのかも知れない。父子で何度も大橋家、武岡家のご遺族にもご挨拶させていただき先生のお形見をはじめ数え切れないほどのご厚情を賜った。父子揃って大橋先生、武岡先生のお墓参りをさせて頂き「感無量」で言葉が無い・・・。馬手「兵書抜粋」弓手「方面隊運用序説」に恥じない生き様を改めて誓わずにはおれない。
「戦理」とは、宇宙、大自然の目から見た生命の実相の一部を顕したものと考えられる。人間は、まず自然界の動物・植物の生き様と一緒にそれらを身に着けた。やがて、人間同士の争いが大きくなり軍事としての法則を見出そうとした。戦史などから帰納的に導き出されたそれらの原則ではあるが、本来は人間が生き抜くために自然から学んだ「智恵」である。災害、事故、感染症など大自然の力に対処する時や戦争という人類共通の敵を消滅させるためにも大きな勇気をもたらすと確信する。人類は、あまりにも愚かな手段である軍事を過大に扱いすぎる、今や人類にとって軍事では解決できない問題のほうが大きい。地球温暖化や新型インフルエンザを戦車やミサイルでどう防ぐのか。軍事は所詮、人間の問題である、武力、暴力、武器からは何も生み出さないのはもちろん、軍事からもたらされるものは悲惨と後悔だけである。軍事的効果に期待した戦略発想はことごとく誤りである。すべての価値の源は「命」である。「兵を用うるの害を知らざる者、すなわち兵を用うるの利を知る能はざるなり」(孫子)
「境内の民みな治を言い、商・管の法を蔵する者、家ごとに、これあれども国いよいよ貧し。耕を言う者衆く、耒(スキ)を執る者寡ければなり。境内みな兵を言い、孫・呉の書を蔵する者、家ごとにこれあれども兵いよいよ弱し。戦いを言う者多く、甲を被る者少ければなり。」(韓非子)-----韓非子の時代(前280~前233年)、秦・始皇帝の頃から「孫子兵法」はそれなりの家ならどこででも手にすることが出来たと考えられる。庶民の韓信でさえその気になれば「之を死地に、陥れて、然る後に生く。(九地篇)」くらい諳んじていた。前213年、韓非子の思想により始皇帝は、医薬、朴筮、種樹、以外の書を焚いた。その後不老長寿も空しく始皇帝は沙丘で没、(前210年)、劉邦が項羽を破り漢王朝を興した(前202年)。その後、漢武帝初年(前141~前118年)頃の造営と思われる貴族の墳墓より1972年に掘り起こされた竹の簡をもとに現代の中国の研究者により刊行されものが所謂、「竹簡孫子」である。孫武(前512頃呉の将軍)から「竹簡孫子」が副葬品として埋められるまで、約370年、それが堀起こされるまであと約2113年、気の遠くなるような時間である。2002年の中国紙、文匯報によると湖南省西部の竜山県で、春秋戦国~漢代とみられる城郭跡から秦代の竹簡、約二万枚余りが発見されたという。2007年、世界中に翻訳されているART OF WAR SUN-TZU とその解説書が様々な媒体として未来に残って行くことであろう。同様にその中の一冊が未来に発掘されたとして、どれだけ「孫武の孫子」に近づくことができると言えるだろうか、科学技術と学術研究には大いに期待するが、それまで人類は戦争という宿業を克服できないというのか。銀雀山出土の「竹簡孫子」は文化的、学術的には大変貴重なものかもしれない、しかし所詮今日の孫子が21世紀にも、もてはやされているのと同じく、どこの書店、どこの家にでも一冊や二冊はあるであろう孫子・呉子の一冊と同じかもしれない。
孫子の始計で有名な言葉で「兵は詭道なり」とあるが、始計の本来の思想と「詭」の思想、理念は全く異なる。孫子(兵法)を騙す事と思い込んで、やたら偽り、虚偽に奔り、本来の「利」を失って墓穴を掘って自滅する事例は21世紀の今日に至っても尽きない。ことに兵法を軍事以外の経営や処世に活用することを吹聴する者の中には、やたら欺瞞に埋没して「兵法」「戦略」の名聞のみを誇示して無責任に終始している者も少なくない。「正奇」「虚実」の理を理解した者でなければ「詭」を運用することは不可能である。所詮、「詭」も「奇」も虚実を生み出すための方便に過ぎず、太極の虚実を捉えきれないものは「詭」の生み出す「虚」を自らの「実」で撃つことはできない。「実」を充たした者が「虚」を装うことはあっても、自らの虚を「実」に装うが如きは本来の兵法ではない。真実の「利」を覚らぬ者は戦いの利を収めることもできない。現伝承の「孫子」の五事、七計の理念に「詭」はどのように反映されると言うのか。魏の武帝・曹操の時代に既に孫武の兵法は錯簡しており、奸雄・曹操が自らの功績、生き様を「詭道」の文字を用いて誇示、正当化したにすぎない。魏武・曹操の実力、功績を否定することはできないが、今日、曹操が注釈したものが最古の孫武の兵書であるとして、曹操を孫武の兵法の最高の具現者とすることはできない。当然、ただ曹操より古いというだけで衆寡と攻守の理念を錯乱した「銀スズメ竹簡」の言うことなどを聞いていたらとんでもないことになる。「孫子の兵法」は偽り欺くことと訳した世界中の数千年来の孫先生のグレートブックは何なのか? 21世紀・平成20年の今日、やたら「偽り」「装う」世の中で、馬脚を現す兵法経営・経営戦略の多いことか。かつて大橋先生・武岡先生の門下でその権威を借りた一部の奸雄達の中で、なるほど木の葉を黄金に変えて見せた方々も少なくないが、尻尾を濡らし、兵法の名を汚し恩を仇と変え、ご遺族、同門、同志を辱め、心配をかけた人もおられるのではなかろうか。もちろん事業に浮き沈みはあり、人生にも栄枯盛衰、順と逆があるとは思うが、負け戦の後に「詭道・偽り」を暴かれるが如き「兵法経営」は大橋先生、武岡先生の兵法には微塵も存在しない。むしろ、「君主論」などの極端に聞こえる言葉を中々受入れ難い「薬」のようにして慎重に学ばれ、従業員と一緒にに試行錯誤して波乱を乗り切っておられる社長さんたちは、決して「太極の利」を失われることなく、その名は秘かではあるが、その道は高く徳は後世に讃えられるはずである。孫子の始計篇、「兵は國の大事、死生の地、存亡の道なり。」と「兵は詭道なり」の思想は次元の違うテーマであり、「兵は詭道なり」は孫子の兵法思想を貫くものではない。このことは既に天野鎮雄博士の孫子研究で主張されている。魏武帝・曹操以来、二千年の風雪を耐えた現伝承の「孫子」ではあるが、残念ながら錯簡・衍文・衍字のままでは孫武の本来の思想を捉えることは難しい。まして「詭道」を用いて経済活動、商いの道を照らすが如き処世は「孫子」そのものを貶め冒瀆することに他ならない。----大橋先生は、「兵書には「敵」という言葉がよく出て来る。これを「経営」に利用される方は、この「敵」を商売仇や競争相手と置き換えられることが多い。しかしこれでは兵書の一番よいところを逃がしてしまう恐れがある。どうか「敵」とは「困難な仕事」と、思って頂きたい」と戒められている。しかし今日の孫子は「顧客」までも「敵」とみなし、平気で「詭」を施してしまうような風潮になっているのではなかろうか。かつて周に滅ぼされた殷(商)の民は土地(農)を失い、生きる伝として「物」を仕入れて売る(商い)を生業とした、故にある所で楯を売り、ある所では矛を売らねばならない、やがて矛盾という「嘘」をつかざるを得なくなる、やがて商の民の「嘘」は罪を問われなくなり、「嘘」「偽り」は商いにおいては大切な術となってしまったという。「生きる」という「業」はそのようなものかもしれない。さればこそ商いの世界においては得がたい「信」がことさら尊ばれるのかも知れない。
兵法の極意!と言うと思わず身を乗り出される人もおられるかと思う。西江水・太阿の剣・一の太刀・巌の身など剣術の奥義の名前を聞かれた方も多いかと思う。はて、21世紀の書店の棚には30分で分る孫子、一時間で分る兵法、云々というタイトルの書籍も賑わせている。唐突であるが仏法・大蔵経七千巻の奥義は久遠実成の法華経にあり法華経の奥義は本門の題目「南無妙法蓮華経」である。などと書いても、何の事か? うそー !そんなの関係ねー!と思われるはず。これが奥義・極意・真実・実相だと言われると誰も信じない、疑念を抱くものが本当の奥義かも知れない。所詮、聞いても見ても分らぬものを何かありがたい物をもらえると思うとついつい手もお足も出してしまうのが凡人でありしかたない。聖人の意は、それ見るべからず・夫子の道は忠恕のみである。凡人・奇人の自己満足の言葉をお許し願いたい。なんだそんな事か、と言って霊鷲山を去っていく人に罪は無く、日頃は問われて山水の蒙を取り去るのに、勝手にいきなり話出した方の罪を問われても責任は負いかねる。朱子は「易」の地山謙の「謙」は兵法の極意という。大橋先生は、「情理を尽くした統御・的確な指揮と、かつ教えかつ戦う人間育成による組織力の効果的な発揮である」と言われている。武岡先生は「正奇の運用と止揚効果にある」と言われた。自分は「正と奇による虚実の主動的な創造にある」と思う。天野鎮雄博士は「史記の孫子列伝で呉王闔盧の前で女官を調練する有名な説話は後世の作為であり孫武の真の人物像を表明していない」「君命も受けざる所あり」(軍争篇)は将軍の独断専行を強調するものではなく人命の尊重と国家の安泰を至上の利として全体の利害を勘案した状況判断の結果である。また孫子の本来の文には、ことさら賞罰を厳にする思想はない、演習の指揮の結果に実害はなくその責任を隊長に帰して斬罪にすることは賞罰のみを厳にして人命を軽んじるものであり孫武の思想に副うものではない。故に既に司馬遷の時代このような説話を採用されるほど、孫武の十三篇は既に錯乱し、様々な衍文が付加されていることを推察させるものである。」と言われる。兵法の極意が「教育」にあるとすればこの説話も全く否定はできないとも思う。孫子の思想は「理」を説くものであるが、高度の「感性」が無ければ心に響かないものである。世の中は「何を言うか」ではなく「誰が言うのか」で動くものである、故に権威の無い「兵法」は世に受容れ難い、しかしその言葉は無責任な妄語であってはならない。
兵書の普遍と真理
兵書には兵法すなわち兵学と兵術が書かれてある。兵学とは戦いの理論と哲学で、兵術とは兵学を実行する術策であり、文字に表現しつくせないものが多分にある。兵法の要は、集団を率いて戦勝を獲得することにあり、「戦わずして勝つ」ことをもって最上とする。戦って勝つための鍵は、我が優勢をもって敵の劣勢を討つにあるが、この優勢はたんに有形の要素だけでなく、無形の要素によってきまることが多い。たとえば不意を突かれた軍はつねに劣勢である。無形の要素は、生命の危険を前提とする戦いの場面において、想像を絶する大威力を発揮するもので、有形の要素の格段の差が有無を言わせぬ猛威をふるうのも、それが人間に絶望感を与えるためでもある。兵法は、本来、性悪説によっている。性善説で粉飾しているものもあるが、これは無理である。とくに統率のためには、将兵の忠誠心や勇敢さが貴重であり、それを養うことに努力しなければならないが、極限状態に陥った人間は、その良識が管制力を失って本能をむき出しにすることを認識し、手抜かりのないように考えておく必要があり、現に信賞必罰を説かない兵書はないのである。性善説を表看板とする日本軍の統帥綱領や作戦要務令も、武士道や軍人精神の修養練磨という事前の準備を強く要請するとともに、厳正なる軍紀(積極的責務遂行心)の必要を高唱し、峻烈なる軍律によって裏づけしている。兵法は時代とともに進化していくものであるが、そのなかに不動の部分がある。それは真理と人間の本質に根を下ろしたもので、百年千年の風雪に堪えて来ており、今後もますます輝き続けていくであろう。本書に抜粋集録したものはこれである。なお、兵書は、時世に恵まれた一人の天才が、多くの人の経験を集めて単純化し、ある主張のもとに編集したもので、たとえば孫子の兵法も、そのすべてを孫武が開発したものではなく、いわば彼は編者である。したがって協力者の参画があったろうし、テクニックに属するものには、伝承者の手による後世の修正加除もありうるわけである。兵法は、たんに戦いの場だけでなく、政治の運営、企業の経営はもちろん、我々が人生を生きがいのあるものにするためにも、そのまま役に立つ。政治も企業も戦いも、要は組織の効果的な運用であり、また、人生は苦難の連続で、我々はこれに打ち勝たねば生きていけないし、打ち勝つことによって、初めて真の喜びを感ずるものだからである。-- 大橋先生著「兵書抜粋」まえがきより --
「闘戦経」を世に出すようになった経緯
「闘戦経」は幸いにして先覚の士により、明治にいたってその存在が確められ、海軍兵学校の手に移るにおよんで、昭和九年に木版刷にされたものが若干篤学の士に渡り、さらにその活字化されたものの一本が偶然私(大橋)の所へ来たのである。それは私が東部軍参謀時代の参謀長高島辰彦氏の好意で、戦後「兵法的思考による経営」を研究している私のことを聞かれ、昭和三十七年十月二日に氏秘蔵の一本を下さったのである。氏を中心とするグループはかねてからこの本を研究しておられたようで、篤学の士の訳までついていた。それから十八年後の昭和五十五年十月から、はからずも私はブレーン・ダイナミックス社の前田滋社長の後援により、帝国ホテルと丸の内ホテルで兵法経営塾を開講しているが、熱心な方々が全国から集まられ、ついに昭和五十七年には三年研修生が出ることになった。その結果、今までより高度の兵法研究を行なうことになり、その対象として、中国の「鬼谷子」と日本の「闘戦経」が浮かびあがってきた。いずれも古代の幻の兵書であり、難解である。しかし私は数年前からこの両書を研究していたので、この際これをまとめて本にして教材に使いたいと思い、「鬼谷子」は徳間書店の厚意にあまえて刊行することにし、「闘戦経」は、紙数が少なくて刊行対象にならないため、自費出版をすることに踏み切った次第である。なお大江匡房の文章は現代人にわかりやすいように書き直し、さらに解説と私の考えを付記しておいた。古人の序文に「将来、天機秀発して、後世、しかるべき人に知られるのを待つのみ」とあるが、この八百余年も前の人の悲願が今達成の機を得ることになるかと思えばまことに感慨無量であり、また筆をとる者としてまことに冥利につきる思いがする。なお、私は暗号解読も同様の苦心をして勉強したが、まだまだ不十分なところが多く、結局、私の仕事は「こんな本がある」ということを世の中に紹介するにとどまったようである。私もまた先人の例にならい、将来いつか達識の士が現れて、この本の主張するところをさらに効果的に活用する途を聞かれんことを期待する。なお、あとがきにある大江元綱の言のように、この本は「熟読永久にして、自然に関を脱するを得べし」であり、わからないところはじーっと睨み、繰り返し読みつづけていれば、日本人であるかぎり、いつとはなしにその意味が脳裡に浮かんでくるものであり、読者の不屈の挑戦を念願する次第である。-- 大橋先生著「闘戦経」を考えるより --
電子書籍
電子書籍 2024.01.16
「兵法 小澤様問対」 | ||||||
「兵法小澤様問対」上 | 「兵法小澤様問対」中 | 「兵法小澤様問対」下 | ||||
![]() |
![]() |
![]() |
「兵法 小澤様問対」上・中・下
(兵法塾外伝 平成・令和)
2009年の3月14日に初めて「小澤様」からの掲示板への書き込みがあり、その都度、拙いご返事をお返ししてきましたが、いつの間にか14年も経過して、世相も時代も大きく変化してしまいました。その時勢に応じた大橋武夫先生、武岡淳彦先生の著書やエピソード及び古典、ビジネス書をテーマにした「小澤様」との掲示板での対話が日々研鑽の証となり、個人的にも人生の貴重な足跡となりました。2013年頃より大橋先生の「お形見の書籍」を電子書籍として作成させて頂いていましたが、この度、「兵法塾・掲示板」での「小澤様」との兵法に関するやり取りを、保存と編集をかねて電子書籍として公開させていただきます。引き続き、ご指導ご鞭撻を賜れば幸甚でございます。
■ 兵法 小澤様問対 上
【9】~【59】2009(平成21)年3月14日~2010(平成22)年6月26日
■ 兵法 小澤様問対 中
【60】~【115】2010(平成22)年7月28日~2013(平成25)年2月17日
■ 兵法 小澤様問対 下
【116】~【178】2013(平成25)年3月3日~2023(令和5)年1月5日
2023年12月
heihou.com
(ヘイホウドットコム)編集・著者
Amazonアソシエイトで著書の一部をご紹介します
兵法経営塾 | 統帥綱領入門 |
3![]() |
4![]() |
戦いの原則 | マキャベリ兵法 |
7![]() |
8![]() |
ピンチはチャンス | 新釈孫子 |
11![]() |
12![]() |
日本陸軍史百題 | 兵法と戦略のすべて |
15![]() |
16![]() |
リーダーとスタッフ | 孫子の経営学 |
19![]() |
20![]() |
まんが 孫子の兵法 | まんが 兵法三十六計 |
23![]() |
24![]() |
兵法 項羽と劉邦 | 絵で読む「孫子」 |
27![]() |
28![]() |
名将の演出 | 兵法 三国志 |
31![]() |
32![]() |
兵法 徳川家康 | 状況判断 |
35![]() |
36![]() |
人は何によって動くのか | 兵法 孫子 |
39![]() |
40![]() |
経営幹部100の兵法 | 図解兵法 |
43![]() |
44![]() |
戦略と謀略 | クラウゼウィッツ兵法 |
47![]() |
48![]() |
兵法・ナポレオン | 参謀総長・モルトケ |
51![]() |
52![]() |
チャーチル | 攻める-奇襲桶狭間 |
55![]() |
56![]() |
図解指揮学 | 戦国合戦論 |
59![]() |
60![]() |
必勝状況判断法 | 正攻と奇襲 |
63![]() |
64![]() |
兆候を読む! | ビジネスマンの兵法ゼミナール |
67![]() |
68![]() |
孫子一日一言 | リーダーシップ孫子 |
71![]() |
72![]() |
「孫子」を読む | 湘桂作戦体験記 |
75![]() |
76![]() |
初級戦術の要諦 | 方面隊運用序説 |
79![]() |
80![]() |
統帥綱領 | 作戦要務令 |
83![]() |
84![]() |
戦争論・解説 | 兵書研究 |
87![]() |
88![]() |
図鑑兵法百科 | 兵法で経営する(初版) |
91![]() |
92![]() |
兵法で経営する(復刻) | スマートに運転する上・下 |
95![]() |
96![]() |
兵法三十六計 | 鬼谷子 |
99![]() |
100![]() |
謀略 | 決心 |
103![]() |
104![]() |
千に三つの世界 | 兵法小澤様問対・上 |
107![]() |
108![]() |
兵法小澤様問対・中 | 兵法小澤様問対・下 |
111![]() |
112![]() |
©2022- https://www.heihou.com/mobile/All rights reserved.