Military Art from T.Ohashi T.Takeoka
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織田信長 VS 武田勝頼 |
織田信長という武将は、英邁果断で超合理主義で頭脳明晰であったが不思議なほどに武田信玄を恐れた。そして、その恐怖心は「天下布武」という遠大な野望から生まれたものであった。 |
織田・武田の勢力関係 ![]() |
織田信長の桶狭間の戦い~長篠の戦いまでの軌跡 1560年5月、桶狭間にて今川義元を討ちとる。 1567年8月、美濃を攻略して斉藤竜興を追放。 1568年2月、北伊勢を攻略。7月足利義昭を迎える。 〃 年9月、義昭を奉じて上洛。 1570年6月、姉川にて浅井・朝倉連合軍を撃破。 1571年9月、比叡山を焼討ち。 |
織田・武田の地形状況 ![]()
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1573年2月、足利義昭、浅井・朝倉・武田・本願寺と謀る。 〃 年7月、槇島にて足利義昭を破り、追放する。 〃 年8月、越前朝倉・近江浅井を滅ぼす。 1574年9月、伊勢長島一向一揆討伐。 1575年5月、長篠城救援のため出陣。 |
織田、徳川・年譜 |
武田・年譜 |
1560年5月、信長、桶狭間にて今川義元を討ちとる。 |
1555年7月、川中島の戦い(第一回) |
〃 家康、今川を離れ岡崎に戻る。 |
1561年9月、 〃 (第四回) |
1562年1月、家康、信長と盟約を結ぶ。 |
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1565年11月、養女を勝頼に嫁がせる。(のちの武田信勝・母) |
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1567年3月、信長の長女・徳と家康の長男・信康婚姻。 |
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〃 8月、美濃を攻略して斉藤竜興を追放。 |
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〃 11月、信長の長男・信忠と信玄の娘と婚約。 |
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1568年2月、北伊勢を攻略。7月足利義昭を迎える。 |
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〃 年9月、義昭を奉じて上洛。 |
1569年5月、家康に攻められた今川氏真、掛川退散、今川氏没落。 |
1569年5月、家康、今川氏真を攻める。 |
〃 12月、信玄、駿府に侵攻。 |
1570年4月、朝倉攻撃中、浅井の裏切りで金ヶ崎を退却。 |
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1570年6月、姉川にて浅井・朝倉連合軍を撃破。 |
1571年4月、信玄、東三河侵入。山家三方衆、武田に寝返る。 |
1571年9月、比叡山を焼討ち。 |
〃 12月、上杉・織田同盟に対し、北条氏政と同盟する。 |
1572年11月、信玄、上洛のため西上開始。 |
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1572年12月、家康、浜松を出て三方ヶ原に信玄を攻撃するも大敗。 |
〃 12月、信玄、三方ヶ原にて織田・徳川連合軍を撃破。 |
1573年2月、足利義昭、浅井・朝倉・武田・本願寺と謀る。 |
1573年4月、信玄、伊那にて陣没。 |
〃 7月、槇島にて足利義昭を破り、追放する。 |
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〃 8月、越前朝倉氏・近江浅井氏を滅ぼす。 |
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〃 9月、家康、長篠城を取り、遠江北で武田を撃退。 |
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〃 11月、三好義理を滅ぼす。 |
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1574年9月、伊勢長島一向一揆討伐。 |
1574年2月、勝頼、美濃明智城を攻略。4月足助城を攻略。 |
〃 10月、家康、奥平貞能の子・信昌を長篠城に入れる。 |
〃 5月、遠江で徳川軍を撃退。6月高天神城を攻略。 |
1575年4月、築山謀略発覚。 |
1575年4月、 勝頼、長篠城を囲む。※「武田勝頼の状況判断」 |
〃 5月、長篠城救援のため出陣。 |
〃 5月,設楽原に突撃するも鉄砲による多大の損害を受け撤退。 |
〃 設楽原で武田軍を撃破。 |
〃 5月~12月長篠敗戦により、足助・長篠・作手・田峰・武節・牧野・岩村・二俣等の出城を失う。 |
※ 図解 略式の「戦術的状況判断」の例 | |
1576年2月、勝頼、横須賀を攻める。犬居城を失う。 |
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1577年3月、紀州雑賀衆を鎮圧。10月、信貴山の松永久秀を討伐。 |
〃 4月、信玄の葬儀を行う。5月、牧野城を攻める。 |
1578年11月、毛利水軍を摂津木津川にて撃破。 |
〃 9月、浜松城に迫る。10月、横須賀を攻める。 |
1579年4月、播磨攻略中の羽柴秀吉に増援を送る。 |
1577年1月、北条氏政の妹と婚姻。8月、遠江へ進攻。 |
〃 7月、信長、家康の長男・信康の死を要求。 |
1578年3月、上杉謙信没。4月、勝頼、駿河・遠江に進攻。 |
〃 8月、家康家臣、築山御前を刺す。 |
1579年4月、江尻城を攻め7月前橋進攻。9月北条との同盟破れる。 |
〃 9月、徳川と北条の同盟なる。信康、二俣城にて切腹。 |
〃 9月、三島に進攻、北条と対峙。 |
〃 10月、明智光秀、丹波・丹後を平定。 |
〃 10月、妹を上杉景勝に嫁がせ友好を結ぶ。 |
1580年3月、本願寺と和解、8月、本願寺顕如退去。 |
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〃 11月、柴田勝家、加賀を制圧。 |
1580年12月、犬居城を失う。 |
1581年1月、高天神城の武田勝頼に備え、織田信忠出陣。 |
1581年2月、兵16000を率いて三島に進攻、北条の反撃により撤退。 |
〃 9月、織田信雄・信包、伊賀を平定。 |
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1582年1月、信玄女婿・木曾義昌、信長に通じ謀反。 | |
1582年2月、甲州攻めに織田信忠を派遣。3月、信長、安土を出陣。 |
〃 2月、小山城を失い、遠江全土を家康に奪われる。 |
〃 兵15000を率いて諏訪に出陣するも各方面で敗れる。 |
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〃 3月、滝川一益、武田勝頼を甲斐田野に囲み勝頼父子自刃。 |
〃 3月、天目山にて勝頼没し武田氏滅亡。(勝頼・37歳 没) |
※ 「信長」 滅亡に先んずること三ヶ月 | |
〃 5月、明智光秀に中国出陣を命じる。 |
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〃 6月、本能寺にて光秀の軍勢に襲われ信長・信忠父子自刃。 |
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〃 6月、(信長・49歳 没) |
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兵書の普遍と真理
兵書には兵法すなわち兵学と兵術が書かれてある。兵学とは戦いの理論と哲学で、兵術とは兵学を実行する術策であり、文字に表現しつくせないものが多分にある。兵法の要は、集団を率いて戦勝を獲得することにあり、「戦わずして勝つ」ことをもって最上とする。戦って勝つための鍵は、我が優勢をもって敵の劣勢を討つにあるが、この優勢はたんに有形の要素だけでなく、無形の要素によってきまることが多い。たとえば不意を突かれた軍はつねに劣勢である。無形の要素は、生命の危険を前提とする戦いの場面において、想像を絶する大威力を発揮するもので、有形の要素の格段の差が有無を言わせぬ猛威をふるうのも、それが人間に絶望感を与えるためでもある。兵法は、本来、性悪説によっている。性善説で粉飾しているものもあるが、これは無理である。とくに統率のためには、将兵の忠誠心や勇敢さが貴重であり、それを養うことに努力しなければならないが、極限状態に陥った人間は、その良識が管制力を失って本能をむき出しにすることを認識し、手抜かりのないように考えておく必要があり、現に信賞必罰を説かない兵書はないのである。性善説を表看板とする日本軍の統帥綱領や作戦要務令も、武士道や軍人精神の修養練磨という事前の準備を強く要請するとともに、厳正なる軍紀(積極的責務遂行心)の必要を高唱し、峻烈なる軍律によって裏づけしている。兵法は時代とともに進化していくものであるが、そのなかに不動の部分がある。それは真理と人間の本質に根を下ろしたもので、百年千年の風雪に堪えて来ており、今後もますます輝き続けていくであろう。本書に抜粋集録したものはこれである。なお、兵書は、時世に恵まれた一人の天才が、多くの人の経験を集めて単純化し、ある主張のもとに編集したもので、たとえば孫子の兵法も、そのすべてを孫武が開発したものではなく、いわば彼は編者である。したがって協力者の参画があったろうし、テクニックに属するものには、伝承者の手による後世の修正加除もありうるわけである。兵法は、たんに戦いの場だけでなく、政治の運営、企業の経営はもちろん、我々が人生を生きがいのあるものにするためにも、そのまま役に立つ。政治も企業も戦いも、要は組織の効果的な運用であり、また、人生は苦難の連続で、我々はこれに打ち勝たねば生きていけないし、打ち勝つことによって、初めて真の喜びを感ずるものだからである。-- 大橋先生著「兵書抜粋」まえがきより --
「闘戦経」を世に出すようになった経緯
「闘戦経」は幸いにして先覚の士により、明治にいたってその存在が確められ、海軍兵学校の手に移るにおよんで、昭和九年に木版刷にされたものが若干篤学の士に渡り、さらにその活字化されたものの一本が偶然私(大橋)の所へ来たのである。それは私が東部軍参謀時代の参謀長高島辰彦氏の好意で、戦後「兵法的思考による経営」を研究している私のことを聞かれ、昭和三十七年十月二日に氏秘蔵の一本を下さったのである。氏を中心とするグループはかねてからこの本を研究しておられたようで、篤学の士の訳までついていた。それから十八年後の昭和五十五年十月から、はからずも私はブレーン・ダイナミックス社の前田滋社長の後援により、帝国ホテルと丸の内ホテルで兵法経営塾を開講しているが、熱心な方々が全国から集まられ、ついに昭和五十七年には三年研修生が出ることになった。その結果、今までより高度の兵法研究を行なうことになり、その対象として、中国の「鬼谷子」と日本の「闘戦経」が浮かびあがってきた。いずれも古代の幻の兵書であり、難解である。しかし私は数年前からこの両書を研究していたので、この際これをまとめて本にして教材に使いたいと思い、「鬼谷子」は徳間書店の厚意にあまえて刊行することにし、「闘戦経」は、紙数が少なくて刊行対象にならないため、自費出版をすることに踏み切った次第である。なお大江匡房の文章は現代人にわかりやすいように書き直し、さらに解説と私の考えを付記しておいた。古人の序文に「将来、天機秀発して、後世、しかるべき人に知られるのを待つのみ」とあるが、この八百余年も前の人の悲願が今達成の機を得ることになるかと思えばまことに感慨無量であり、また筆をとる者としてまことに冥利につきる思いがする。なお、私は暗号解読も同様の苦心をして勉強したが、まだまだ不十分なところが多く、結局、私の仕事は「こんな本がある」ということを世の中に紹介するにとどまったようである。私もまた先人の例にならい、将来いつか達識の士が現れて、この本の主張するところをさらに効果的に活用する途を聞かれんことを期待する。なお、あとがきにある大江元綱の言のように、この本は「熟読永久にして、自然に関を脱するを得べし」であり、わからないところはじーっと睨み、繰り返し読みつづけていれば、日本人であるかぎり、いつとはなしにその意味が脳裡に浮かんでくるものであり、読者の不屈の挑戦を念願する次第である。-- 大橋先生著「闘戦経」を考えるより --
電子書籍
電子書籍 2024.01.16
「兵法 小澤様問対」 | ||||||
「兵法小澤様問対」上 | 「兵法小澤様問対」中 | 「兵法小澤様問対」下 | ||||
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「兵法 小澤様問対」上・中・下
(兵法塾外伝 平成・令和)
2009年の3月14日に初めて「小澤様」からの掲示板への書き込みがあり、その都度、拙いご返事をお返ししてきましたが、いつの間にか14年も経過して、世相も時代も大きく変化してしまいました。その時勢に応じた大橋武夫先生、武岡淳彦先生の著書やエピソード及び古典、ビジネス書をテーマにした「小澤様」との掲示板での対話が日々研鑽の証となり、個人的にも人生の貴重な足跡となりました。2013年頃より大橋先生の「お形見の書籍」を電子書籍として作成させて頂いていましたが、この度、「兵法塾・掲示板」での「小澤様」との兵法に関するやり取りを、保存と編集をかねて電子書籍として公開させていただきます。引き続き、ご指導ご鞭撻を賜れば幸甚でございます。
■ 兵法 小澤様問対 上
【9】~【59】2009(平成21)年3月14日~2010(平成22)年6月26日
■ 兵法 小澤様問対 中
【60】~【115】2010(平成22)年7月28日~2013(平成25)年2月17日
■ 兵法 小澤様問対 下
【116】~【178】2013(平成25)年3月3日~2023(令和5)年1月5日
2023年12月
heihou.com
(ヘイホウドットコム)編集・著者
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