電子書籍
「兵法 小澤様問対」
兵法塾外伝・平成 令和
小澤様 !
ありがとうございます。
電子書籍として上・中・下
公開させていただきます。
電子書籍 2024.01.16
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この「兵法小澤様問対」と名付けた【9】~【178】までの掲示板・対話の時代背景は2009年から2023年まで約14年間の平成の後半から令和の初頭までの大きな時代の変化の中での「兵法談義」です。
小澤様とは、ほとんど同世代ですが、この期間は失われた30年とも云われた時代の後半にあたります。21世紀の今、気候変動、自然災害、パンデミック、貧困、戦争・・。これでもか、これでもかと人類は歴史的な試練にさらされています。今、日本も存亡の岐路かもしれません。国民は疲弊しきっています。戦後の復興世代の我々が見て来たものを振り返れば「兆し」は既に現れています。その兆しの下に潜んでいる巨大なものが、未来の可能性です。第二次世界大戦は人類8500万人の犠牲者を出したと云われます。日本は広島・長崎に原爆を受け310万人の犠牲を出して無条件降伏しました。我々にとっては父母、祖父母の経験であり、学校の授業でも学年末の近代史は記憶に薄いままです。なぜあれほど愚かな戦争を引き起して悲惨な結果で終ってしまったのだろうか・・。と思って多少学んでみると当時の政治家や軍人に強い憤りを感じてしまいます。ならば、今の日本はどうだろうか・・。今の日本の「失敗の本質」は2004年(平成16年)の「製造業への人材派遣解禁」にあると思った。元々禁止されていた「労働者の供給」がグレーゾーンから徐々に解禁されて行って、ついに2023年には労働組合ではなく自民党や経済団体から賃上げの声を聞くようになってしまった・・。もう水も喉を通らないくらい、弱りきった馬車馬には立ち上がる力は残っていない・・。戦前の一夕会のエリート将校でも自分たちの政策に多少の不安を感じていたはずである。令和の二世三世の政治家や経済界の、雇われ社長たちも、この「平成の大失敗」の本質を内心では悔やみ畏れているはずである・・。資本主義の根幹は「簿記の思想」である。ガレー船の中で死んだ奴隷の数は資産の減少であり。リンカーンは合衆国憲法で保障された個人資産の解放に躊躇した。牧場を放たれた家畜はそのまま草原で暮らす者と、再び牧場に戻って来て「賃労働」で暮らす者があった、賃労働は餌(えさ)や肥料と同じ「費用勘定」である。牧場の収益は少ない費用(賃金)でもたらされる。常に自然災害、金融不安、市場競争にさらされる企業(牧場)は、操業や実績に応じて変動が可能な「費用」を欲しがる。受入企業の都合で、いつでも契約を切れる派遣会社からの賃労働の供給(雇用の調整)が、人材派遣である。2020年時点で非正規労働者の割合は38%を超えた。低賃金、不安定雇用の世代が家庭を持って子供を育んでいくことなど不可能に近い・・。その結果、人口減少、少子高齢化、労働力不足に陥り、技能実習などと偽って更に安い労働力を国外に求めたが、借金と低金利の「円安」で、外国人労働者からも見放された。今の日本の醜態は恥も外聞もない・・。巨万の「内部留保」を抱えていても国際競争力を失い、同盟国からの圧力や規制緩和や国際イベントの陰には常に、利権と癒着が見え隠れする時代でもある。世界に目を向ければ、国民を偽り他国に侵逼して、戦場に人を殺させる、さらに殺された自国の民の言葉を封じる・・。人類の歴史でも稀な国際情勢である。「新しい資本主義」と云う、同世代の総理の言葉に「労働分配率」でも決めてくれるのかと、多少期待したが、「所得(給与)倍増」は「資産(株や投資預金)倍増」にすり替わり、金融資産課税も消えた・・。昨日までの政府のコロナ対応を見れば、いくら防衛予算を倍増しても手作り散弾銃二発で終わりとなる。挙国一致などという言葉は使いたくないが、先日、恩師の「陸軍認識票」をお形見として賜った。恩師は幾多の戦火を越えて復員されたが、「みずく、くさむす」数百万の「認識票」と、戻ってきた「白木の箱」を思えば・・涙は襟をうるおし、頤(おとがい)に交わる・・。「何があっても絶対に国民に人殺しをさせてはいけない。」恩師の著書に「家畜の賃金」という言葉があった。「家畜の賃金と私がいうのは、労働者が生きるに必要な賃金は、会社の事情いかんにかかわらず、必ずくれというからである。家畜は生きるに必要なものはもらうが、それ以上はもらえない。飼い主は生かしていく力がなくなれば売るか、殺してしまう。家畜賃金制では、経営者は労働者が生きていくに必要な賃金を払えなくなれば、解雇するであろうし、利益が上がっても分けあおうとはしないだろう・・1962年著「兵法で経営する」大企業ではなかったが、既に61年前に労働分配率を決めて経営されていた。掲示板には、小澤様以外にも大変貴重な励ましのお言葉を賜っていました。今回は割愛させていただきましたが、改めて心よりお礼申し上げます。拙い独断の「あとがき」となりましたが、貴重なお時間と心血を注いでいただいたうえに、電子書籍での公開を快くご了解を賜りました小澤様に感謝申し上げます。大橋先生、武岡先生にも必ずご報告をさせていただきます。最期まで目を通していただきました皆様のご高読を心より感謝申し上げます。
2023年12月
heihou.com
(ヘイホウドットコム)編集・著者
運転する車の中で、武岡先生から「〇〇君が、一番気に入ってる孫子の言葉は何か?」と聞かれたことがあった、「・・篇の・・です」と話したら、その後「国際孫子クラブ」の機関誌で取り上げて解説して頂いたことがあった。
孫武が冒頭の始計篇で「兵は詭道なり」と言い放つ一方で、・・篇の中で、明日の出撃を待つ兵士の「涙」(心情)を描写しているのである。そして、あることに気づいた、・・する者(兵士)の涙が頤(おとがい)に交わるのか襟(えり)をうるおす(濡らす)のかということである・・。何かおかしい、逆ではないか、以前から気づいていた事ではあったが、改めて考えてみた。孫武は古の黄帝の兵法と自然の摂理から「戦いの理」を見出して、十三篇に著わしたと伝わる。2500年後も「孫子十三篇」の活用は「戦争」だけに止まらない。元々普遍的な視点から人間と戦いを捉えているからである。しかし孫武と同時代の「易教」は「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず、然らば聖人の意は、其れ見るべからざるか」と云っている。人類にとって権威と価値を持つ「聖典」「古典」は、言葉から文字に著わされ、その文字が書写されながら伝承する過程でも必ず誤植が生じてしまう(かつて清の乾隆帝の四庫全書のコピーを読書会で読んでいたら数個の誤植を見つけたことがあった)孫武、孫臏の時代から約700年後の曹操の時代まで竹簡の文字も書写されていったはずであり、また綴じ代の外れた長さ27センチ幅9ミリの竹の束を復元する過程では誤って綴じられる可能性もあり得る。また文意を整えるために衍字衍文が加えられたとも云われる。もし、今日の孫子十三篇の一部の表現に物理的(科学的)な誤りがあるとすれば他の戦理の表現も誤っている可能性もある。歴史上の数え切れないほどの注釈も、すべて普遍的な「戦いの理」を背景にしているとは残念ながら考えられない。兵書は学究の書ではなく、極限の中で真価を問われる実用の書なのである。
2023年12月
heihou.com
(ヘイホウドットコム)編集・著者
現伝承の孫子
魏武註以来の孫子には既に誤植、錯簡があり、その表現には物理的な誤りがあり。孫武の説く戦いの理も誤ったまま表現され、伝承されて来た可能性があると書いたが、これは48年前に初めて読んだ「孫子(講談社文庫)」天野鎮雄博士の説である。大橋先生も同時期に、この著書を読まれて天野鎮雄博士の説に賛同されて、天野博士の「孫子の思想」を基本にして自ら「原始孫子」を著わされた。武岡先生が「国際孫子クラブ」を立ち上げられる折に、「現伝承の孫子と天野博士の孫子と、どちらを使われますか・・。」とお聞きしたことがあった。武岡先生は兵法や孫子を更に広く一般に普及させるには現伝承の孫子を基本にしたがよいだろうと話された。
戦いの理
時代や武器こそ数千年の隔たりがあるが、大橋先生も武岡先生も陸軍士官学校を出られて、ついこの前の戦場で血みどろの戦火を経験された「軍人」である。我々には本当の戦場の風景など想像もつかないが、孫武や曹操が見たであろう「戦争」の中で生き残り、勝ち抜くための「戦いの理」を自ら体験されているのである。
孫子の表現の中に多くの自然現象や生き物の姿が「戦理」の比喩として登場するが、それは孫武自身が「戦いの理」を森羅万象の普遍性の中に見出していたからに他ならない。司馬遷の史記「白圭伝」には既に「孫呉の兵法」を商いに用いていたと在り、大橋先生の戦後の倒産企業の再建は、自分自身の受けた軍事教育と戦場体験をそのまま自然に活用した結果だと言われている。孫武の十三篇(THE ART OF WAR)の活用は2500年後も「軍事」だけに止まらない・・。「戦略」「戦術」という言葉も、もはや軍事用語では無い。大橋先生は自らの著書の原点「兵法」(heihou)を使われた。その中に、「戦略戦術は戦う方法であり、兵法はさらに戦うか戦わないかを決める方法である・・孫子と君主論・政略論は君主(社長)の書であり、戦争論と統帥綱領・作戦要務令は将軍(幹部)の書である」と書かれている。
プリンシプル(Principle)とドクトリン(Doctrine)
このサイト掲示板では2015年(平成27)頃、ある出版社から「統帥綱領」の執筆依頼を受けたが、膨大な資料と近代史(戦史)の読み込みだけに終わり、ついに原稿を仕上げることが出来なかった・・。しょせん素人には手の負えない大きなテーマと背景があった。せっかく声をかけて懇切に励まして頂いた編集課長Eさんにはお詫びの言葉も見つからない・・。しかし統帥綱領とその時代背景から重要なことを学ばせてもらった。1999年の暮れ、最後に武岡先生にお会いした日に、墨筆で感謝の言葉を書かれた「日本陸軍史百題」を賜っていた、その中には、幾百万の犠牲によって得られた血の教訓が連ねてあった・・。今にして思えば亡くなられる40日前に自分如き者に託されたなどとは畏れ多くて考えたこともなかったが、目の前で著名され手渡された最後の一冊であった・・。その後、2019年には、大橋先生の三十三回忌にあたり、ご遺族より沢山の貴重な御遺品をお預かりした。その中に、大橋先生が「統帥綱領(建帛社)1972年」で割愛されている統帥参考の統帥権、統帥と政治の「削除原稿」があった・・。統帥綱領の執筆依頼を受けた折は、終戦時に焼却されたという「統帥綱領」の現存する改訂版を求めて大学や図書館の寄贈文庫など様々に問合わせて資料などを調べたが、もはや学究の書になってしまった・・。しかし、一つ気づいた事があった。日本の敗戦の原因の一つに、昭和天皇は兵法の研究が不十分で孫子の根本原理を体得していなかったと云われているらしい・・。武岡先生は「日本陸軍史百題」で日本と陸軍の戦争研究がアカデミックではなかったからだと云われている。大橋先生も我々軍人は本当の兵法を知らなかったと「兵書研究」に書かれている。あれほど悲惨な光景をもたらした根本原因を日本人なら誰でも知りたがるのは当然である。また世代を超えて継承していかなければならない。昭和史や国際政治、軍事専門家の意見や著書も山ほどある。孫子に関する書籍も国の内外を越えて数え切れないほど存在する。日本人や日本軍が科学や情報、物量を軽視して精神主義に傾注して行ったことは、敗戦後の常識であるが、もう一つ見逃しているとすれば、日本人そのものの「こだわり」独自性の偏重にあると思う。長い間の鎖国や島国ゆえに育まれた独特の文化や民族性は、ある意味では優れた特質を生み出したのは事実であり、地球上の同様の地勢に恵まれた国でも同じような現象は存在すると思う。日本は太古の時代から大陸文化を取り入れ、近代になって西洋の文化や科学を取り入れて、独自の文化や産業に発展して来たと教えられた。吉備真備が、唐から持ち帰った「孫子」を朝廷の学者である大江匡房は、日本人にはそぐわない「懼字(くじ・敵を恐れる)」の書と云って自ら「闘戦経」を著わした。詭譎(きけつ)の書と看破したところはさすがと思うが漢学者の眼にはその奥にある「戦理」や自ら会得した「戦場の理」を語ることは出来なかった。戦後の警察予備隊から自衛隊が創設され「野外令」が制定されるにあたり、米軍の教範をそのまま基準とするべきか否かで対立があったと聞く、膨大な国力を背景にした「米軍の戦術」は「日本の戦術」にそぐわないという意見があったらしい。日本に汎用機(コンピューター)が普及し始めた頃、各大手電機メーカーのコンパチブル(互換性)が問題になったが、2023年のDXやマイナンバーの立ち遅れの遠因も同じところにあるのではなかろうか、世界の経済大国は既に気候変動の科学的検証が出ているにもかかわらず政策に反映させて来なかった・・。「統帥綱領」は皇道派の鈴木率道によって編纂され、「統帥参考」は統制派の村上啓作によって編集されたというが、それぞれの背景には政治的対立があった。既に戦うことを前提にした統帥綱領、統帥参考、作戦要務令には、失敗の本質となった多くの要因も指摘されているが、これら「日本の兵法」は総てドクトリン(Doctrine)であってプリンシプル(Principle)ではない。「生命」が環境や状況に適応しながら存在し続けることと同じく、その国の地勢、時勢、民性、国力等に沿って建てられる「国防方針」や「オペレーション(教義、方針、教範)」は、その国の特質や情勢に適い、目の前の課題の解決を目論むものであるが、科学的見識を遠ざけ体制や特質に拘泥しすぎたドクトリン(国防方針)は、いつの間にか普遍性を遠ざけ、その「特質」に隠れている重要な劣点(欠点)と目的を見失ってしまう。戦いを力(パワー)関係の科学ととらえた場合、戦いのプリンシプル(Principle)は、実際には物理的で極めて単純、明快なものに集約されてしまうかも知れない。ランチェスターの二つの法則やMOOSEMUSS(戦いの九原則)には国家の特質や人間の精神力は含まれない。戦いの原則(プリンシプル)を捉えきれずに、異国・本朝の武力などという考え方は既に危うい。国や時代が変われば効果を発揮しないものはプリンシプル(Principle)ではない。ランチェスター理論に例えるなら、「一騎打ち理論」と「集中攻撃理論」がプリンシプル(Principle)であって、それに沿った、強者・弱者の視点、接近戦、一騎討、間合い、専守防衛、抑止力等は、既にドクトリン(Doctrine)である。力(パワー)は様々に形を変え、幼児学童の教室から生活組織、国家権力、国際政治まで人間の「心と生活」を支配する。2500年前、中国春秋時代の孫武の十三篇と米軍のMOOSEMUSSが符号、合致する理念が多いのは優れた戦いの普遍性(プリンシプル)が貫かれている証でもある。日本の孫子や統帥綱領、統帥参考、作戦要務令が、明確にプリンシプル(Principle)をつかめないまま幾百万の犠牲を出してしまったことを振り返って見れば、我々人類が言葉、文化、宗教の違いを越えて人類普遍のプリンシプル(Principle)をつかむ必要があり。先ず自分自身や国家を否定するくらいの覚悟を必要とする。
2023年12月
heihou.com
(ヘイホウドットコム)編集・著者
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兵法塾外伝・昭和 平成
千に三つの世界から明日の自分を見つけよう!!
昭和から平成のコンピューター業界と情報の本質について個人的な体験を基に追求してみました。2000年から運営する「兵法塾」サイトの外伝として公開させていただきます。2023.10.01
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