主宰者コメント - 兵法塾 -
兵 法 塾
TOP Ohasi Takeoka SiteMap Link Information WebShop Comment      祈願・三陸皆様の心の復興 2011.3.11
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主宰者コメント

 『 書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。然らば聖人の意は、其れ見るべからざるか。』

-- 易経・繋辞上 --

 『 積年の鍛錬自得の心法も、既に古人の書にあり、自らの任にあらず。』

-- 明治の天才剣客・内藤高治 --

 『 汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か 』

--日蓮大聖人・立正安国論 --

ありがとうございます。さて、このWEBサイトにどれほどの価値を見出して頂けるか分りませんが、サイト内の殆どのコンテンツは自らの才覚から出たものではなく、古典・兵書・戦史を基に大橋、武岡、両先生の御著書や直接賜った御指導、及び「兵法経営塾」「兵法経営研究会」「国際孫子クラブ」「三国志研究会」等を通して一緒に学ばせて頂いた諸先輩方や大橋先生、武岡先生、ご両家のご遺族のお力をお借りして運営しております。大変深遠で高邁なテーマにもかかわらず、拙速で行き届かぬ事ばかりで大橋・武岡、両先生のお名前を汚さぬように必死でございます。どうぞお気付きの点よろしくご指導を賜れば幸いでございます。   

 

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 『 大橋武夫先生 』『 武岡淳彦先生 』
  昭和57年(1982)の4月頃だったと思う、その頃大橋先生の「図解兵法」・「続名将の演出」・「兵法孫子」などを既に読んでいたが新刊の「立身出世のすすめ」の中に大橋先生の主宰される「兵法経営塾」のことが書かれていた。「兵法経営塾」マネジメント社・当時の塾生が先生の喜寿のお祝いをしたのを機に塾の紹介を兼ねて出版された。大橋先生の激励の言葉。当時はやっと社会人となって一年くらいたっていた。コンピューター関係の会社であったが当時は東京本社で随意契約で受注した国の行政機関の仕事を人件費の安い地方で処理して航空便で納品していた。そのうち競争入札が加わり売上の半分も占めていた随意契約が三分の一に減り、地方の営業所の人件費を分散(減らす)することになり数名の転勤が決まっていた。 既に「孫子」を諳んじ、「史記」を読み、韓信・張良・陳平・蕭何を知っていたが残念ながら先ず役に立ったのは彼らの人間関係に対する身の処し方であった、組織というものは斯くもたやすく人の運命を軽く扱うものかと憤った。
その日仕事が終って事務所にひとり残っていたとき著書の後に書いてあった大橋先生のご自宅に電話をしたら大橋先生が出られた。「あのー、先生の兵法経営塾は私みたいな一般の者も参加できますか?。」と尋ねたら、先生は喜ばれて「どちらからですか?○○ですか、○○なら□を作っているところの社長さんが私の本のファンですよ」と言われ、「兵法経営塾の事務局(企業研修会社)から連絡させましょうか?」と言われたが、あまりの突然のことで恐縮して、後でこちらから連絡させて頂きますと言って、事務局の 連絡先を教えて頂いた。大橋武夫先生の主宰された「兵法経営塾」の資料その後、転勤先の事務所で兵法経営塾の資料を手にした。年12回で入会金・年会費合計約40万円。既に数ヶ月分が終っており、今年残りの分を払込んで早速上京した。就学旅行以来二回目の東京は丸の内のホテル の兵法経営塾セミナー会場であった。初めて大橋先生にお会いして挨拶をした、先生は既に70歳は過ぎておられたが 大変懇切で無駄な言葉が無く真剣で自信と確信に充ちておられたと思う。私より背が高く、野太い声で、やはり明治生まれの軍人だと感じた。セミナーの参考書・兵書抜粋にサインをされながら、「遠い所をよくおいでましたね、兵法のことはまだ他の人は誰も知らないんだからね。」と話された。グループごとの丸いテーブルの椅子に座って見渡すと、泣きたくなった、二十数名ほどの中で恐らく 二十代はおろか三十代の人も居られなかったと思う、傍らの人に名刺を渡し挨拶すると皆、代表取締役○○という名刺が返って来た。当然である、ここは経営塾なのである。「THE ART OF WAR 」 ジェイムス・クラーべル著、大橋先生のご令嬢、Sさんが国外の空港ターミナルで見つけて来られたもの。大橋先生のご令嬢、Sさんに一部を翻訳して頂いたもの。社名こそ今はやりのコンピューターではあるが営業部以外の何の肩書きのない平社員がとんでも無いところに来てしまったと思った。それも平日に休暇を代え、まだ自分の会社の東京本社にも来たことのないい田舎っぺである。もちろん会社に許可など取れるはずもなく、その後も毎月給料の半分以上を費やして「金蝉脱殻の計」は三年 間ほど続くのである。当時は、よく「」を立てたが正に「天沢履(てんたくり)」(虎の尾を踏むような危ない状況)で虎穴を行ったり来たりした。その内懇意にしていただく社長さんや事務局の方々に気をよくしてセミナーに集中した、何しろ兵法を教えてもらえる先生も学校も他には無いのであるから。昼間は営業兼、納品係りで福岡の街をぐるぐる回っているが、その日の夕方は博多の夜景から羽田の夜景に変わるのである。 ・・・・・ 武岡先生が亡くなられた後、先生の告別式以来、久しぶりに上京した折、先生ご自宅のご仏前にお参りさせて頂いた。その後友人の結婚式 に参加しての帰り、久しぶりに夜の羽田を見た 。・・・・・ この頃のことを思い出して目頭が熱くなった。「ゆくたびか、鉄(かね)の翼にうち乗りて、都の九天、尚追い止まぬ」であった、誰にも言えず、誰にも知られず、独り歩く東京の街は今となっては絵物語の如くである。セミナーの会場になった帝国ホテルや紀尾井町のニューオータニ周辺は都の歴史物語の舞台でもある。よくセミナー終了後、皇居前の大楠公の下のベンチで今日の講義の戦史を読み返し、幼い多門丸が夜の葛城山を越える姿を思い、熱くなって思わず大楠公を見上た。 羽田までの帰りの途中で五反田駅からまだ行った事のない本社ビルを眺める度に東京の陽の傾きの早さを感じた。
・・・・・大橋先生の御形見分けとして奥様より先生の蔵書の一部を賜ったもの。「兵書抜粋・私家版」大橋先生の御形見分けとして奥様より先生の蔵書の一部を賜ったもの。「闘戦経・私家版」 初めてのセミナーで大橋先生が、講義の終わりに質問を促された。錚々たる社長さん達の前ではあったが、敬愛する念願の兵法の先生に教示を賜る機会に気負い込み、緊張したまま質問の挙手をした。「孫子に上下、欲を同じくする者は勝つとあります、私は会社では上下の下の人間ですが、先生の言われる兵法経営の会社ではどのようになりますか。」緊張した九州訛りの質問に、大橋先生は丁寧に具体的に労使の賃金体系などの話をされたと思う。その時の内容は舞上っていてはっきり覚えていない・・・。ただ自分の立場と、ここに居られる人達とは立場が異なり、下の人間として上に不信、憤りを感じていることは先生も察せられたと思う。大橋先生の横の席で副塾長の武岡先生は、久しぶりに聞く九州訛りの若者を笑って見ておられた。26年前の光景ではあるが、その時の大橋先生の 御姿と武岡先生の笑顔が今もはっきりと蘇るのである。 ・・・・・ 時の風に舞い上がった紙くずの様な小さな「」ではあったが、二十代のサラリーマン社員では決して見ることの出来ないものを見せて頂き。身分不相応な大変な恩恵を大橋・武岡、両先生より賜った。兵法経営研究会・機関誌「兵法経営」第20号・創刊1986~大橋先生は、セミナー の折でも、「旧軍でも防衛庁でも本当に「戦略・戦術」を自分の言葉で語れるものは彼(武岡先生)を措いて他にいない」と話され、兵法経営塾・兵法経営研究会の指導を徐々に武岡先生に託されて行った。兵法経営塾は昭和59年の9月まで参加させて頂いた。その後、兵法経営塾のOBで発足された「兵法経営研究会」にも引き続き参加させて頂いて、色々な御支援を頂いた。昭和62年7月、既にもとの○○営業所に戻っていたが、突然、兵法経営研究会の事務局の N さんより大橋先生の訃報があり、17日に上京して告別式に参列させて頂いた、その後、御遺族と一緒に、武岡先生はじめ兵法経営研究会の 数名の方々と先生の御骨を揚げさせて頂いた。
・・・・・ 浅学菲才で不遜な世間知らずであったが、皆さんと一緒に先生のお側に置いて頂いたことを心より感謝し 、人生最大の誇りに思う。武岡先生、追悼文集、2000年7月「国際孫子クラブ」 創立の趣旨(武岡先生)1995年数年後、上京して武岡先生の書斎 にお伺いした折、机上に大橋先生の小さな「御遺影」があり、小さな「お水」がお供えしてあった。・・・ つい先日の出来事のようにも感じるが、武岡先生は大橋先生のご遺志を受けて兵法経営塾・兵法経営研究会・京都兵法会をはじめ全国に勉強会を主宰され、武岡戦略研究所を立ち上げられた後、 平成七年、「国際孫子クラブ」を創始された。第一回の国際孫子クラブの全国大会が平成九年、秋の京都で開催され、大橋先生の兵法経営塾 をはじめ、縁の方々が一同に会した。五歳の長男と一緒に参加させて頂き「感無量」であった。その後の第二回目の全国大会を準備して頂いている途中で突然、武岡先生は逝ってしまわれた。その一月 ほど前(1999年12月)に上京して先生にお会いしたが、帰り際に玄関で先生が手を差し伸べられた。両手に押戴いて額に当てたが、その時の先生の手の温かさを一生忘れることは できない。・・・ 18歳の落第生が、三島彦介先生の授業で「孫子」を知り、天野博士の「孫子」を手にして33年、大橋先生・武岡先生に初めてお会いしてから26年、まさに一冊320円の本が人生を変え、今日を導いたと思う。その間、出会った沢山の方々に心より感謝し、朝夕の回向と共に、 皆様のご多幸をお祈りして行きたい。「乃至法界平等利益自他倶安同歸寂光」・・・。

『 戦 理 』
「戦理」とは、宇宙、大自然の目から見た生命の実相の一部を顕したものと考えられる。人間は、まず自然界の動物・植物の生き様と一緒にそれらを身に着けた。やがて、人間同士の争いが大きくなり軍事としての法則を見出そうとした。戦史などから帰納的に導き出されたそれらの原則ではあるが、本来は人間が生き抜くために自然から学んだ「智恵」である。災害、事故、感染症など大自然の力 に対処する時や戦争という人類共通の敵を消滅させるためにも大きな勇気をもたらすと確信する。人類は、あまりにも愚かな手段である軍事を過大に扱いすぎる、 今や人類にとって軍事では解決できない問題のほうが大きい。地球温暖化や新型インフルエンザを戦車やミサイルでどう防ぐのか。軍事は所詮、人間の問題である、武力、暴力、武器からは何も生み出さないのはもちろん、軍事からもたらされるものは悲惨と後悔だけである。軍事 的効果に期待した戦略発想はことごとく誤りである。すべての価値の源は「命」である。「兵を用うるの害を知らざる者、すなわち兵を用うるの利を知る能はざるなり」(孫子
『 孫武の思想 』
「境内の民みな治を言い、商・管の法を蔵する者、家ごとに、これあれども国いよいよ貧し。耕を言う者衆く、耒(スキ)を執る者寡ければなり。境内みな兵を言い、孫・呉の書を蔵する者、家ごとにこれあれども兵いよいよ弱し。戦いを言う者多く、甲を被る者少ければなり。」(韓非子)-----韓非子の 時代(前280~前233年)、秦・始皇帝の頃から「孫子兵法」はそれなりの家ならどこででも手にすることが出来たと考えられる。庶民の韓信でさえその気になれば「之を死地に、陥れて、然る後に生く。(九地篇)」くらい諳んじていた。前213年、韓非子の思想により始皇帝は、医薬、朴筮、種樹、以外の書を焚いた。その後不老長寿も空しく始皇帝 は沙丘で没、(前210年)、劉邦が項羽を破り漢王朝を興した(前202年)。その後、漢武帝初年(前141~前118年)頃の造営と思われる貴族の墳墓より1972年 に掘り起こされた竹の簡をもとに現代の中国の研究者により刊行されものが所謂、「竹簡孫子」である。孫武(前512頃呉の将軍)から「竹簡孫子」が副葬品として埋められるまで、約370年 、それが堀起こされるまであと約2113年、気の遠くなるような時間である。2002年の中国紙、文匯報によると湖南省西部の竜山県で、春秋戦国~漢代とみられる城郭跡から秦代の竹簡、約二万枚余りが発見されたという。2007年、世界中に翻訳されているART OF WAR SUN-TZU とその解説書が様々な媒体として未来に残って行くことであろう。同様にその中の一冊が未来に発掘されたとして、どれだけ「孫武の孫子」に近づくことができると言えるだろうか、科学技術と学術研究には大いに期待するが、それまで人類は戦争という宿業を克服できないというのか。 銀雀山出土の「竹簡孫子」は文化的、学術的には大変貴重なものかもしれない、しかし所詮今日の孫子が21世紀にも、もてはやされているのと同じく、どこの書店、どこの家にでも一冊や二冊はあるであろう孫子・呉子の一冊と同じかもしれない。
『 兵法は詭道ではない 』
孫子の始計で有名な言葉で「兵は詭道なり」とあるが、始計の本来の思想と「詭」の思想、理念は全く異なる。孫子(兵法)を騙す事と思い込んで、やたら偽り、虚偽に奔り、本来の「」を失って墓穴を掘って自滅する事例は21世紀の今日に至っても尽きない。ことに兵法を軍事以外の経営や処世に活用することを吹聴する者の中には、やたら欺瞞に埋没して「兵法」「戦略」の名聞のみを誇示して無責任に終始している者も少なくない。「正奇」「虚実」の理を理解した者でなければ「詭」を運用することは不可能である。所詮、「「詭」も「奇」も虚実を生み出すための方便に過ぎず、太極の虚実を捉えきれないものは「詭」の生み出す「虚」を自らの「実」で撃つことはできない。 「実」を充たした者が「虚」を装うことはあっても、自らの虚を「実」に装うが如きは本来の兵法ではない。真実の「」を覚らぬ者は戦いの利を収めることもできない。現伝承の「孫子」の五事、七計の理念に「詭」はどのように反映されると言うのか。魏の武帝・曹操の時代に既に孫武の兵法は錯簡しており、奸雄・曹操が自らの功績、生き様を「詭道」の文字を用いて誇示、正当化したにすぎない。魏武・曹操の実力、功績を否定することはできないが、今日、曹操が注釈したものが最古の孫武の兵書であるとして、曹操を孫武の兵法の最高の具現者とすることはできない。当然、ただ曹操より古いというだけで衆寡と攻守の理念を錯乱した「銀スズメ竹簡」の言うことなどを聞いていたらとんでもないことになる。「孫子の兵法」は偽り欺くことと訳した世界中の数千年来の孫先生のグレートブックは何なのか? 21世紀・平成20年の今日、やたら「偽り」「装う」世の中で、馬脚を現す兵法経営・経営戦略の多いことか。かつて大橋先生・武岡先生の門下でその権威を借りた一部の奸雄達の中で、なるほど木の葉を黄金に変えて見せた方々も少なくないが、尻尾を濡らし、兵法の名を汚し恩を仇と変え、ご遺族、同門、同志を辱め、心配をかけた人も おられるのではなかろうか。もちろん事業に浮き沈みはあり、人生にも栄枯盛衰 、順と逆があるとは思うが 、負け戦の後に「詭道・偽り」を暴かれるが如き「兵法経営」は大橋先生、武岡先生の兵法には微塵も存在しない。むしろ、「君主論」などの極端に聞こえる言葉を中々 受入れ難い「薬」のようにして慎重に学ばれ、従業員と一緒にに試行錯誤して波乱を乗り切っておられる社長さんたちは、決して「太極の利」を失われることなく、その名は秘かではあるが、その道は高く徳は後世に讃えられるはずである。 孫子の始計篇、「兵は國の大事、死生の地、存亡の道なり。」と「兵は詭道なり」の思想は次元の違うテーマであり、「兵は詭道なり」は孫子の兵法思想を貫くものではない。このことは既に天野鎮雄博士の孫子研究で主張されている。魏武帝・曹操以来、二千年の風雪を耐えた現伝承の「孫子」ではあるが、残念ながら錯簡・衍文・衍字のままでは孫武の本来の思想を捉えることは難しい。まして「詭道」を用いて経済活動、商いの道を照らすが如き処世は「孫子」そのものを貶め冒瀆することに他ならない。----大橋先生は、「兵書には「」という言葉がよく出て来る。これを「経営」に利用される方は、この「敵」を商売仇や競争相手と置き換えられることが多い。しかしこれでは兵書の一番よいところを逃がしてしまう恐れがある。どうか「」とは「困難な仕事」と、思って頂きたい」と戒められている。しかし今日の孫子は「顧客」 までも「」とみなし、平気で「」を施してしまうような風潮になっているのではなかろうか。かつて周に滅ぼされた殷(商)の民は土地(農)を失い、生きる伝として「物」を仕入れて売る(商い)を生業とした、故にある所で楯を売り、ある所では矛を売らねばならない、 やがて矛盾という「嘘」をつかざるを得なくなる、やがて商の民の「嘘」は罪を問われなくなり、「嘘」「偽り 」は商いにおいては大切な術となってしまったという。「生きる」という「業」はそのようなものかもしれない。さればこそ商いの世界においては得がたい「」 がことさら尊ばれるのかも知れない。
『 兵法の極意 』
兵法の極意!と言うと思わず身を乗り出される人もおられるかと思う。西江水・太阿の剣・一の太刀・巌の身など剣術の奥義の名前を聞かれた方も多いかと思う。  はて、21世紀の書店の棚には30分で分る孫子、一時間で分る兵法、云々というタイトルの書籍も賑わせている。  唐突であるが仏法・大蔵経七千巻の奥義は久遠実成の法華経にあり法華経の奥義は本門の題目「南無妙法蓮華経」である。などと書いても、何の事か? うそー !そんなの関係ねー!と思われるはず。これが奥義・極意・真実・実相だと言われると誰も信じない、疑念を抱くものが本当の奥義かも知れない。所詮、聞いても見ても分らぬものを何かありがたい物をもらえると思うとついつい手もお足も出してしまうのが凡人でありしかたない。  聖人の意は、それ見るべからず・夫子の道は忠恕のみである。凡人・奇人の自己満足の言葉をお許し願いたい。なんだそんな事か、と言って霊鷲山を去っていく人に罪は無く、日頃は問われて山水の蒙を取り去るのに、勝手にいきなり話出した方の罪を問われても責任は負いかねる。 朱子は「易」の 地山謙の「謙」は兵法の極意という。大橋先生は、「情理を尽くした統御・的確な指揮と、かつ教えかつ戦う人間育成による組織力の効果的な発揮である」と言われている。武岡先生は 「正奇の運用と止揚効果にある」と言われた。  自分は「正と奇による虚実の主動的な創造にある」と思う。  天野鎮雄博士は「史記の孫子列伝で呉王闔盧の前で女官を調練する有名な説話は後世の作為であり孫武の真の人物像を表明していない」「君命も受けざる所あり」(軍争篇)は将軍の独断専行を強調するものではなく人命の尊重と国家の安泰を至上の利として全体の利害を勘案した状況判断の結果である。また孫子の本来の文には、ことさら賞罰を厳にする思想はない、演習の指揮の結果に実害はなくその責任を隊長に帰して斬罪にすることは賞罰のみを厳にして人命を軽んじるものであり孫武の思想に副うものではない。故に既に司馬遷の時代このような説話を採用されるほど、孫武の十三篇は既に錯乱し、様々な衍文が付加されていることを推察させるものである。」と言われる。  兵法の極意が 「教育」にあるとすればこの説話も全く否定はできないとも思う。 孫子の思想は「理」を説くものであるが、高度の「感性」が無ければ心に響かないものである。世の中は「何を言うか」ではなく「誰が言うのか」で動くものである、 故に権威の無い「兵法」は世に受容れ難い、しかしその言葉は無責任な妄語であってはならない。
 
 

 

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